大学院生活(後半・M2)

就職活動のさなか、M1からM2へと進級した。

研究室には新入生が2人入ってきて、計4人のメンバーで活動していくことになった。また、研究室をリフォームし秘書さんのスペースを作った。前の代は1学年5人いたため一気に人が減り、僕は机2つ、デュアルモニターの環境が与えられた。M2の同期とは学部1年のころからの仲だったので、研究室内では気使う相手もおらずやりたい放題やっていた。席選びは当然一番奥の一番隅っこ。狭く閉鎖的な空間ほど好きなものはない。また、席の真横に壁があったので、好きなモデルの写真とか貼りまくってた。他にも室内に本棚とかお菓子コーナーとか調理場とか色々あって、もう最高に自分の部屋って感じだった。

いよいよ研究が本格化し、まずは先代がやった実験の続きから始めることになった。そのためにセンサーのキャリブレーションをすることになったのだが、何しろ実験自体が初めてすぎて、さらに就活による研究時間現象も相まって、たかがロードセルのキャリブレーションに1月ほどかかった。平日は就活のため学校に来れず、土日に研究作業を詰め込むような日々が続いた。しかも研究と研究の間が5日間も空くとその前何をやっていたのか思い出すのに時間がかかり、無駄な作業が増えた。同じセンサーのキャリブレーションを間違えて2度やってしまったり、間違った入力値を与えて検査しやり直しになったり、そんなしょうもないことを繰り返していた。

たまに平日に就活を終えた後スーツで研究室に向かいソファベッドに倒れるなどして、後輩たちが「お疲れ様です」って言ってくれた。

5月下旬に就活が終わると、ようやく研究が本格化しだした。まずは、7月末に実験日を設定し、それに向けて準備を進めた。正直2か月も時間があると思うとなかなかやる気が出ず、結局グダグダしてるうちに実験2週間前あたりまで時が進んでいた。実験場所は本郷に合ったため、柏から本郷まで毎日通うことになった。片道1時間。本郷には姉妹研究室のような立場の研究室が合ったため、疲れた時はそこで休ませてもらった。途中からあまりにも疲れがたまってきたため、荷物は本郷に置きっぱなしにし、手ぶらで柏と本郷を行き来するようになった。都心へ向かうサラリーマンに囲まれ荷物無しTシャツ半ズボンで常磐線に乗る僕ははたから見るとかなり異色な存在に見えただろう。資器材の調達や実験スケジュール等を調整するも実験当日までに間に合わず、もうどうにでもなれと思いながら実験を開始した。

その時だった。実験器具のスイッチを入れ稼働させた瞬間、器具の一部が破断し、器具センサー模型その他諸々水槽に水没した。流体力学系の実験のため、実験水槽(プールみたいなもの)の中で模型を振り、そこにかかる力を計るという実験だったのだ。あわててアンプの電源などを落とすも、構造上自ら引き上げるのは困難だった。仕方なく実験装置に対しイレギュラーな操作をしていたら、実験用の自動台車がいきなり暴走し始めた。作業員のおじさんが台車の前に立っており轢かれそうになった。「この人が死ぬ瞬間を、僕は目の前で見るのか、、、」と覚悟を決めた瞬間、作業員さんは深さ3メートル程の溝の中に飛び降り、間一髪台車から逃れた。僕は先生に確認の上救急車を呼んだ。実験中の事故とのことで、他の先生とか専攻長とか警察とか安全管理課の人とかいろんな人が来た。まあ何はともあれご無事で何よりでした。

というわけで、台車暴走により僕が2週間かけて作り上げた実験用模型は木っ端みじんにぶっ壊された。何か事務員さんが無事だったことへの安堵と、目の前で見た恐ろしい光景によるショックで、模型が壊れたこととか最早何とも思わなかった。破片を回収しごみに捨て、その日は帰宅した。

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粉砕された模型

 

この事故が7月末に起きたものだが、8月下旬に中間発表があった。この実験で得た結果を中間で発表する気満々だったのに、ネタが一気に消えてしまった。中間発表では仕方なしに、先輩の研究のレビューと今後の計画について話すことにした。これまでの進捗については、事故があったので進捗ありません、と正直に述べた。そして、中間発表は無事合格した。

 

そうして、再度実験準備を行うことにした。今度は1回目の反省を生かし余裕を持って準備しようと決めた。しかしながら、実験実施日を決めないことにはやる気が出ないものである。結局、実験は11月の上旬に行うことになり、真面目に準備し始めたのは10月の中旬当たりからだった。

 

この頃から「声とも」っていう通話アプリにハマりだした。知らない人とランダムに通話するアプリである。話すのが好きな僕にとってはこれが他のあらゆる趣味より楽しく、また寝っ転がりながら口を動かすだけで会話が成立してしまうので、何よりらくちんだった。そのため、深夜に会話が盛り上がり、そのまま早朝まで話してしまうことも度々あった。

また、就活中と中間発表前にお休みしていたレストランのアルバイトを再開した。9月になると卒業旅行などを踏まえたお小遣い管理を意識するようになり、土日は可能な限りバイトを入れまくった。両日合わせて20時間働くことなどざらにあり、9月1か月間で12万円稼いだ。平日は基本的にラボ出勤、土日はバイトか休日出勤。こんな感じで、月月火水木金金な毎日を過ごしていた。今思うと非常によろしくなかった。平日は「まあ土日研究すればいっか」ってなるし、土日は「休日なのに学校来て偉いし今日は適当でいっか」ってなるし。そんな感じで、出かけてはいるけど何も生み出さないような虚無な日々が続いていた。

10月1日、横浜にて御社の内定式に参加した。第一志望で内定をもらえたため、非常に楽しい気持ちで向かうことが出来た。同機は400人近くいて、会場の反対側の席の人とか顔が見えないくらい遠く離れていた。内定式では人事部長によるありがたいお話や内定手続きなどを行い、トイックを受けた。その後、社内カフェにて懇親会を行った。みんなコミュニケーション力が程よく高い人が多く、初対面でも楽しく話せるけどでもウェイウェイしすぎず、といった感じでとても居心地がよかった。懇親会に社長さんが来てくださりありがちお言葉をいただいたのだが、みんな酔っぱらってたので聞いてなかった。ええんかおいw その後、学生のみの2次回に参加した。それがホントに楽しかった。まず、うちの内定先イケメンと美女がめちゃめちゃ多い。やはり天下の高収入勝ち組SIerなだけありますな!!!!いっぱい働いてたくさん稼いで勝ち組ライフ謳歌すんぞオラ✊✊✊あと、MCさんがめちゃくちゃ司会上手かった。クイズ大会での演出などもとても準備されていた。僕はマッチ棒クイズをチーム内断トツの速さで答えを出し、「流石東大!」って言われてご満悦だった。帰り一緒になった女の子に向こうからLINE聞いてもらえたのも嬉しかったですね。もう残りの院生生活いらないから、半年分タイムスキップさせて!お願い!て心から神に祈った。

 

翌日からは再度研究再開。11月上旬の実験に向けて準備を進めた。実験準備で一番大変だったのは、主要機材の発注である。というのも、7月の事故で主要機材が故障してしまい、修理を頼もうとしたところその企業は倒産していた。よって、同じ機能を持った機械を自分で探さなければならなかった。そうはいっても流石に先生は手助けしてくれ、メーカーを紹介してくれたのだが、そっから先は丸投げだった。まず僕は営業の人に電話して機能の説明を受け、こちらの要望を伝え、懸念点を確認し合い、どの機種が向いているかなど教えてもらった。営業の人は文系なので理系的な話がなかなか通じなかったが(多分加速度っていう言葉すら通じてないっぽかった)、分かりやすい例を出すなどして理解してもらった。ある程度話が詰まってきたところで、今度は上野にあるメーカーのショールームに向かった。実際に機械が動いているところを見せてもらい、ソフトでどのように動かすのか教わった。で、ここからがこちらの腕の見せ所であった。

 

困ったことにこの機会は、目的地と速度を指定した等速直線運動しか行えなかった。しかし僕の実験では、模型をsin波で振動させる、いわゆる単振動の動きを発生させる必要があった。さてどうしたか。アイデアの部分だけ先生に頼ってしまったのだが「等速直線運動をつなぎ合わせて疑似的な単振動を作ればいいじゃん」と言われた。なるほどと思い、信号を0.05s間隔に区切って等速直線運動をつなぎ合わせ、単振動を作り出した。研究室で指示信号リストを作ってcsvで保存し、USBに入れた。それを持って、再度ショールームに向かった。試運転をしてみたい旨を予めメーカーの営業さんに伝えてあったので、PCをスタンバイさせた状態で待っててくれた。USBを差し込み指示ファイルを起動してみると、無事単振動が始まった。その様子を動画で収め、翌日のゼミにてどや顔で発表した。そうして、その機材の発注許可を先生にもらい、無事入手することが出来た。

実験中は予め作っておいた指示ファイルを順番に実行していくだけであった。似たような実験を300ケースくらい行ったので、朝から晩まで水槽の前でぼーっと様子を見ていた。こうして無事実験を終えたのであった。

 実験を終えたあたりから、謎にプログラミングがやりたくなった。過去にAndroid studioアプリ開発したことはあったのだが、もっと誰もが気軽にアクセスできるものを作りたい。そう思って、LINE botを自作してみた。結構苦労したが、作り方をまとめてくれた個人ブログやTeratail等を参照して、何とか作り上げた。何故こんなことをこの時期にし出したのか正確には覚えていないが、何者かになりたかったのだろうきっと。ただ漠然と大学院に入って適当にその場しのぎで研究をした人、にはなりたくなかったのである。そこで、普通の人にはできない何かをできるようになりたいと考え、LINE botを作ってみたのだったように思える。

実験を終えると、まずは実験の解析をした。1週間で終わらせるつもりが、なんだかんだで1か月かかった。5日間ぶっ通しでデータを取り続けたので、まずデータ量が尋常でなかった。量が多いと単純に時間がかかるのは当たり前のことだが、処理中に何らかのエラーが生じることも多々あった。そのせいで、途中までやったあとまた1からやり直しになったりなどしたことが、1カ月もかかった原因である。そこから今度は論文用にグラフを出力するなどして、気付いたら年が明けていた。

結局論文提出はまともに終わらず、提出ギリギリに後輩にページ数の入れ方ググらせるなどして、先生にも印刷を手伝ってもらい、何とか提出した。そしてその1週間後に研究発表会(審査会)があった。もはや何をしていたのかあまり覚えていないが、3日間で3時間以上連続で寝た日はなかったように思える。当然家には帰らなかった。隣の研究室の友達も時間感覚がバグっており、夜中の2時にうちの研究室を訪ねてきて「ちょっと昼寝するから3時になったら起こして」など言い出した。いやもうそれ昼寝じゃなくて普通の睡眠だろ、、、。僕は発表当日の朝、3日ぶりに帰宅してシャワーを浴び、スーツに着替えて登校した。結論から言うと発表はぐっちゃぐちゃで、まず時間内に発表が終わらず、質問にもろくに答えられなかった。それでも何だかんだ合格にしてくれちゃうんだから、大学院って、少なくともうちの専攻はほんとにあまっちょろいものですね。

こうして、無事修士課程を修了しましたとさ。院ロンダの目的が研究になかったせいで全てが適当となってしまった。まあ、なんだかんだ就活成功したことが、この2年間の一番の功績だったのかな、と思っている。

発表を終えた後フィリピン台湾旅行に行き、帰国後は体調及び精神不調により虚無の日々を過ごし、引っ越しを終え、今に至る。社会人生活に向けて準備を進めていきたい。