就職活動④

第一志望御社の2次面接をパスし、残すは最終選考、となったところで、ある局面に立たされた。4月末に内定をもらった石油会社が、早急な内定承諾を迫ってきたのである。ちなみに、第二志望の選考も順調に進んでおり、残すところ最終面接だけだった。しかし、石油会社の承諾期限は、第二志望の最終面接よりも早かった。第二志望のリクルーターさんと電話して相談して最終面接の日程をぎりぎりまではやめてもらったが、それでも石油会社の内定承諾の方が2日早かった。どうしても埋められないその差を恨みつつ、石油会社の内定を辞退した。つまり、第二志望の内定を目前にNNTに逆戻りしたのである。なかなか勇気のいる決断であったが、承諾した内定を蹴るのは相当な迷惑がかかるだろうし、そもそも第一、第二志望の最終選考を受ける上で心の枷になると思ったのだ。もしNNTのまま就活を終えることになったら渋谷のスクランブル交差点にこたつ持ちこんでYoutuberデビューすることを心に決め、まずは5/15, 第二志望の最終面接に臨んだ。

正直ここは受ける前から勝ち確だった。2日間の1dayインターン(1dayとは?)に参加したらリクルーターさんがつき、しょっちゅう電話がかかってくるようになった。色々とアドバイスや業界知識を教えてくれ、社内でのOB訪問の機会もセッティングしてくれた。人によっては「ぶっちゃけ東大なら絶対受かるよ」等と言われた人もいるそうで、圧倒的すべり止め企業の扱いで受けた。部屋に入るとまず、修了見込み証明書の提出を求められた。もうこの時点で採用って言ってるようなものでしょう。しかも上座だった。しばらくすると60手前のおじさんが入ってきて、入ってくると同時に「君の大学の有名な建築家が~」等謎の雑談を始めた。話ながら着席されてしまったので、こちらが立って挨拶するタイミングすらなかった。面接官らしからぬ面接官だったが、この人は経済学部出身で、どうやら金融のうんたらかんたらのナンバー2らしい。ああ、、、この会社はSIerだが、結局銀行からの出向者で上位層が埋め尽くされてるという噂は本当なんだなぁ、と思った。この面接官さんは旅行が好きらしくて、パリに行った時の話を延々としてくださった。こっちは適当に相槌をうつだけだった。そして最後に、「じゃ、10月に会えるのを楽しみにしてるよ」とだけ言って立ち去って行った。

ぼーっと座ってるだけで内定もらえてしまった、、、。まあいいか。

そして、5日後の第一志望の最終選考に備えることにした。

 

この御社は、最終選考がグルディス+面接という、なかなかハードなスケジュールだった。そして、グルディスでばっさり切られるという噂も聞いていた。なんなら、グルディスが終わった時点で結果はほぼ決まっていて、最終面接は念のための最終確認に過ぎない、という噂も聞いていた。グルディスの対策は難しい。何と言っても練習ができないし、お題の内容も不明。一応掲示板などを通して情報を得ることはできたが、グルディスで配られる膨大な量の資料は入手のしようがなかった。

そうはいっても元々グルディスが得意でなかった僕は何とか対策せざるを得なかった。そこでとった戦略が、グルディスのタイプ、そしてチームの構成について、考えうるあらゆる場合を想定し、各ケースにおける行動マニュアルを作成した。また、過去の選考レポートを片っ端から読み漁り、どのタイプのお題が出されるか大方予想した。また、グルディス対策の参考書をAmazonでポチり、ボロボロになるまで何度も読んだ。その方法論も取り入れつつ、マニュアルを何度もアップデートし、Ver.5まで作り上げたところで、マニュアルは完成版となった。あとは、そのマニュアル通りセリフを練習し、本番に備えた。一方で、逆質問や想定される質問の答えを考え、何度も練り直した。グルディスリハ+面接解答作りこみに注力しつつ、どうしても完成しない部分だけ抜き出し、最終面接の3日前、再び横浜までOB訪問に出向いた。ここで最後の穴埋めを完成させ、ラスト2日間、最終調整を行った。

5/20, 最終面接は午後3時スタートだった。

就職活動③

1次面接をパスして少しすると、4/26, 併願していた石油会社から内定をもらえた。やはり国立理系院生、かつ専攻と事業内容が被っていたことから、楽勝だった。1次面接はぼろっぼろだったのにあっけなく通過し、最終面接は雑談に近い内容で終わったので、エントリーした時点で内定はほぼ決まったようなものだったのだろう。ただ、採用されたら新潟とか秋田とかに飛ばされるのと、あと10人ちょいしかいない新事業部に唯一の新卒として配属されることになっており、それに対する不安感とで、あまり入社する気はなかった。まだ就活を続けますと伝え、内定受諾を保留にした。

そうして、GWに入った。5月に新天皇陛下の即位があったため、珍しくも10連休となった。休みが多いからいっぱい対策できる!と思いつつも、GW中はOB訪問もできないので、家に引きこもって対策するしかなかった。GWのうち1回は、友達と横浜フリューリングフェスト(ビール祭り)に参加した。どうでもいいけど、人生初ナンパに成功した。僕と同い年のパティシエさんだった。

そして、GW中の面接対策にて、やってはいけないミスをもう1度しかけた。それは、形を作る前に根底を固めようとしたことだ。具体的には、志望動機や就活の軸を、小学校時代あたりまで人生を遡って自身の内面から作り上げようとしたのである。そんな抽象的で漠然とした作業、並大抵の方法論でできるわけがない。できるわけのないことに立ち向かい、やる気をへし折られてはPCゲームに逃避していた。そんなこんなで迎えた2次面接前日は何をやっていたか記憶がない。結局ぐだぐだ過ごした気がする。現実逃避を繰り返して日付を超えたあたりから、面接の原稿を作り始めた。よくこんなギリギリで間に合うと思ったよなホント。

 当日、1次面接の時と同じように開始1時間前に会場に向かい、大手町本社ビルの目の前のベンチにカバンを置いて、原稿を読み込む練習をした。そして、待合室に入場した。5分ほど待つと、他の学生たちが人事に連れられて、6人組くらいになって入ってきた。どうやら、既に2次面接をパスして、グルディスを受けに来た学生だった。僕が1人で部屋にいるのを見ると、突然戸惑いだした。どうやら、僕のことを社員と勘違いしたらしい。「どうぞ、お座りください。」とでも冗談で言ってみればよかったがそんな機転を利かせるほどの余裕はなかったので、「あ、僕学生っすよw」と言って状況を伝えた。場を和ませるために「2次面接どうでしたか~?」等聞いて、然るべき内容を教えてもらった。

2次面接は若干圧迫気味だった。という声がネットでは多かったのだが、正直「理由を聞く」ことを圧迫面接と称してる低能馬鹿学生が多すぎる。確かに、答えた理由にさらに「なぜ?」「なぜ?」と繰り返し聞いてくるのは少し疲れたが、まあその程度で圧迫感を抱くのなら普段どれだけ頭を使わない生活をしているのだろう。そんな低スペックゴミ人材は落とされて当然である。ITの経験を問われた際、Androidアプリ開発経験をアピールした。当然取り組んだ理由を聞かれるので、「自分のプログラミング能力を人に分かりやすく伝えたかったからです。」と答えた。最後の逆質問にて「御社で活躍してる人はどのような人ですか」と聞くと、「自分の能力を分かりやすくアピールできる人です。まさにあなたがAndroidアプリを作ったように、ですね」と言われ勝ちを革新した。

この日は同業他社のグルディスを受けるなどして、研究室に帰還した。翌日研究室で作業をしていたら通過連絡の電話がかかってきた。最終面接の日程調整はかなり悩んだが、採用枠の残りと自分がすべき準備の量を適当に天秤にかけて、約2週間後の5/20にセッティングしてもらった。

全ての研究を放置し、最終面接の準備に取り掛かり始めた。

就職活動②

4/1にSPI通過連絡を受けた僕は、翌朝早速OBOG訪問に向かっていた。

1人目は20台後半の女性社員の方にお会いした。思ったより若くきれいな社員さんだったのでとても緊張した。

志望動機を練る上で業務理解が大切だと考え、まずはシステム開発のフローについてネットで勉強した。それを実体験と結び付けて嚙み砕いて捉え直し、その解釈があっているかOGさんに確認してもらった。僕は卒論時代研究室のポンコツな先輩の研究作業をMATLABで自動化してあげた経験があった。先輩の研究内容を知り、課題を見つけ、解決策を提案し合意を受け、システムを設計し、実装する。僕がやったことはまさにSEの仕事そのものであった。面接で必ず聞かれる質問に「ウォーターフォールモデルを知っていますか?」というものがあり、自分の実体験をそのモデルに当てはめていった。OGさん曰く「その解釈で合ってるよ」とのことだった。

しかし、このやりとりが数分で終わってしまい、なかなか時間を持て余した。訪問させていただいておきながら失礼だが、このOGさんはあまり就活生対応になれていなかったように思える。というのも、「そこまで深く追求しなくても大丈夫だよ。自分が持ってる知識だけをもっていけば大丈夫だよ。」という何とも言えないアドバイスをくださったことからうかがえた。はい。で結局どうすればいいんですか!?って感じだ。

あと、それまでの話と何の脈絡もなく「うちの会社から顧客企業に出向することもあるしね。そうなるとチームメイトがお客さんになっちゃうわけだからね。」って唐突に言われたんだけどこれには何て反応すればよかったの?

そもそもお昼ご飯を食べながら質問しメモを取るというやり取りがめちゃくちゃやりづらかった。1時間しかないのにどうやって聞きたいこと全部聞けばいいんだ?食べながら口空けるのは汚いし、食べて聞いて食べて聞いてを繰り返すのもなんかわざとらしいし。先に食べきってから一気に聞けばよかったのだろうか。そんなことばっか考えていて、ろくに聞きたいことが聞けずじまいだった。

まあどうせ他にも訪問するし、1人目はこんなもんっしょ。って思いながら解散した。

 

同じ日の夜、2人目のOB訪問を行う予定だった。1人目のOG訪問の反省点をまとめ、2人目に聞きたいことをまとめなおした。6時間くらいは間が空いてたので、その間スタバに滞在し続けた。コーヒー3杯くらいは飲んだ。隣で大学1年生の女の子2人組が履修登録をしていて、「てか授業めっちゃ多くない?大学生ってもっと遊びまくるものじゃないの?」等とぼやいてて純粋だなー、と思った。安心しな、君たち1か月後には学校なんか行かずに彼氏とヤりまくってるからw

作成した質問リストをUSBに入れ、コンビニで印刷し、2人目のOB社員さんが働いている事業所まで電車で向かった。「ごめん、残業たまってるから40分で頼む!」と言われ、1時間話してくださると言ってたからそれに合わせて質問リスト作ったのになー、と思いつつも、忙しい中40分も時間作ってくださったことに感謝した。と同時に、やっぱり残業多いんだなこの会社、って思った。

 

翌日からは併願企業の1次面接ラッシュ。正直そこまで真面目に対策する余裕がなかったので、適当に受けて全落ちした。

 

2人の先輩社員に聞いたことを踏まえて、1次面接の対策を練った。企業HPを片っ端から見てサービス内容をエクセルにまとめ、各サービスの顧客企業名、その顧客企業はどんな会社なのか、持ち株会社、子会社はどこなのか、等々。とりあえず調べて分かることは全て頭に叩き込んだ。その上で、自分の強みや特技、学生時代頑張ってきたこと等を片っ端から書き出していき、面接の原稿を作成した。

面接の対策方法として、大まかな方針だけ作っておき、あとはその場で考えて答える、というやり方があるらしい。僕にはどうもそのやり方がしっくりこず、全てを準備して、準備した通りに応えていく方針を取った。原稿を作りこみすぎると①準備した感が出ちゃう②予想外の質問が来た時答えられない、といったリスクがあるそうだ。でも冷静に考えてみて①については、面接を受ける上で準備せずに望む方がよほど舐めてると思うし、どうしても準備してる感を隠したいなら適当に間を開けて考え込んでるふりをすればいいだけだ。そもそも演劇俳優のオーディションじゃないんだから、喋ってる内容さえよければ喋り方なんてなんでもよくないかね。②については、準備してもしなくても、予想外の質問が来たときその場で頑張って考えるという対処に違いはなくないですか?あと、事前に過去の内定体験記などを読み漁りまくれば予想外の事態というのは極力除去できる。そういうわけで、想定されるあらゆる質問に対して原稿を作り、丸暗記した。

 

他にもOBOG訪問を3回行った。

1次面接の3日前、柏からはるばる横浜の事業所までOG訪問に出向いた。その社員さんは学部卒の2年目であり、僕と同い年だった。しかも同じ大学出身のOGさんなので、何なら元同級生だったわけだ。在学中知り合いではなかったものの、共通の知り合いが数人存在し、とても話が盛り上がった。2時間くらいかけて聞きたいことを聞きつくし、柏に帰還した。

 

そうして受けた1次面接は、予想以上に基礎的な質問しかされなかった。やはり大手、かつ流行りのITということで、適当な気持ちで受ける人が多いそうで、そういった人を弾くために最低限の企業理解を試しているらしい。というわけで余裕の合格。GW明けの5/8に2次面接を申し込んだ。

就職活動①

4/1, 3/23に受けた第一志望企業のテストセンターの合否結果が未だに送られてこないことにとてつもない不安を感じつつ、目を覚ました。この日は研究室に新入生を迎え入れ、部屋のリフォームと歓迎会を行う日だった。

 

1月に1dayインターンに参加し始め、2月中旬に外資IT企業を一社受けたところから、就活が本格化した。と同時に、1月初めに、何を思ったか新しくweb系プログラミングの長期インターンを始めてしまった(馬鹿)。目的としては2つあって、1つはお金目的、もう1つは何か就活に向けてヒントが得られると思ったことである。言語はReactといって、JSの中にHTMLのタグを埋め込める感じのものである。全くの未経験だったので一から独学し、言語以外にもGit Hub, Docker Hub, CC, その他諸々のツールの使い方を勉強した。インターンではほとんど何も教えてくれず、Qiitaの記事などを読み漁ったが、結局独学では限界があり、インターンに行くたびにしばかれていた。就活と研究とバイトでただでさえ忙しかったのに、そこにこの高ボリュームタスクが追加されパンクしそうだった。このインターンで新たに知ったことは、システム開発の世界って言うのは色んなツールが組み合わさって行われるんだなー、ってことと、言語を使いこなすだけではなくそれらのツールを使いこなさないと話にならないんだなー、ってことだった。あまり勉強時間が取れなかったためついていけず、なんかもう就職の選択肢としてwebエンジニアというのを残しておくのもめんどくさくなったので、3月初めに退会した。

 

そうして3/1に就活が解禁されて、説明会に片っ端から応募し、ESを書いた。2日に1回くらいは都内で説明会があり、スーツを着て朝早く会社へと向かった。行きは急ぐのでつくばエクスプレス、帰りはお金節約のため常磐線を使った。それまでグダグダな生活をしていた僕は、昼の時点で既に都内行って用事済ませて柏に帰ってきてたりする日々がとても新鮮だった。今思うと説明会は大した勉強にはならなかったが、とりあえずその会社の雰囲気を知ることと、何か頑張ってやってます感を自分に対して演出することで、精神的な健康感を得られたと思ってる。ところで、都内の交通網の発達度はほんとにすごい。時間とお金の節約のために1日に2社以上の用事は入れることを心掛けていたのだが、移動時間は大体30分あれば足りていた。

中旬当たりにはESラッシュ、下旬にはテストを受けることが多かった。

3/20が僕にとって1回目の峠だった。というのも第一志望のES締め切りに加え、他3社のES締め切りがあった。3/19, 起き次第研究室に向かい、ひたすらESの内容を考え続けた。3社のESはまあそこそこ悩みつつ何とかパパっと書き上げた、って感じだったが、第一志望のESにはどれだけ繰り返し悩んだことか。過去の内定者のES例をあさりまくって、似た構成を抽出し、その構成に自分の独自性を盛り込んだ。整合性に問題がないか何度も確認し、3/20の朝6時頃、第一志望のESを無事提出した。

そのまま寝ずに帰宅してシャワーを浴び、スーツに着替えて都内に向かった。

3/23あたりに第一志望のSPI試験を受けた。時間がなかったのでぶつけ本番で適当に受けるような感じになった。このせいで、後から地獄のひと時を過ごすことになるとは思わなかった。

3月下旬、1年前に僕の第一志望御社から内定をもらっていた先輩から、過去の面接レポートをもらった。そのタイトルに書いてあった「4/2, 1次面接」といった文字を見て、絶望した。例年4月上旬には面接が行われるのにどうしてまだSPIの結果が来ていないんだ!?あわてて民衆(みんなの就活)の企業掲示板を見てみると、「SPI通ったー」とか「面接予約完了」みたいな通過コメントが溢れかえっていた。そして、「まだSPI通ってない人いいねお願いします」のような悲壮感焦燥感溢れるコメントもちらほら見られた。それを見たあたりから胸騒ぎがし始めた(結論から言うとこの胸騒ぎは外れてたわけだが)。それから、マイページのメールboxやgmailに通過連絡が来ていないか毎分3回くらい確認し続けた。また、慌てて当企業のSPI対策のページを見ると、日系企業最難関レベルのボーダーなので、よく対策して臨むべし、と言ったアドバイスも書いてあった。終わった。死んだ。どうしてぶつけ本番で受けてしまったのか。他にも、外資就活やみん就の対策ページを意味もなく徘徊し、不安感を募らせた。

ちなみにこの企業はサイレントお祈りを取り入るそうです。Fu*k !!!!!!!!!!!!!

やってしまった。決してこけてはいけないところでこけてしまった。どうしてSPIの難易度を予め確認しておかなかったのか。御社の顧客企業の持ち株会社なんか調べてる場合ではなかったのだ。二度と同じミスはしないと誓うも、既にミスしてはいけない勝負でミスした以上、もう反省を心に刻む気力など残っていなかった。

同業他社の説明会でも、隣の席の人に「〇〇株式会社受けてますか!?SPI通りましたか!?どれくらいできれば通るんですか!?まだ結果来てなくても希望あると思いますか!?あると思いますよね!?ありますよね!?なきゃおかしいですよね!?」等とクソ迷惑な絡みをしていた。

でも、信じるしかなかった。通ったかどうか分からないけどとりあえず信じることにした。信じて結果が変わるわけではないけど、信じることでしか当時の不安な気持ちを抑えることが出来なかった。そして、4/2にOB訪問のアポをとった。まだ受けることになるかどうか分からなかったものの、もうSPIは通過してる前提で行動した。

 

そうして4/1, 冒頭で述べた通り研究室のメンバーで飲み会を行っていた。僕とM2の同期、新入生2人と先生1人。うちの先生は若手准教授で、非常にフレンドリーな方である。去年1年間研究室でどんなことがあったか、どんな先輩がいたか、誰がうざかったかなど、たわいもない話をした。そんな中、ふとスマホを見るとgmailに着信がきていた。

 

緊張 ......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SPI 合格!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

既にお酒の回っていた僕は、とてつもない安堵感でぶっ倒れた。

 

早速1次面接の予約ページを開くと、4/20までの面接枠が全て埋まってた。何ならもう4/1から1次面接が始まっていた。面接開始してから面接の案内が来るだなんて本当ギリギリだし、それだけたくさんの人が受けてるんだな、ってことを実感した。4/21(日)の朝9時に面接の予約を入れた。

 

何としても内定を決めることを決意した。

大学院生活(前半・M1)

3/14,昼過ぎ。

実家でコーヒーを飲みながらPCを開いている。

2年間の大学院生活が終わりに近づいていた。

2年前、とある地方国立大学から東大の院にロンダリングし、流体系の学問を専攻した。学部では船舶工学を学んでいたため、そのまま惰性で専攻を選んでしまった。院を変えた目的は、勿論学歴を上げて就活を有利に進めたかったというのもあるが、それ以上に独り暮らしをしてみたかったという理由が大きい。そのための手段として、実家からギリギリ通えない場所にある東大柏キャンパスに入学することにした。

 

専攻内容を惰性で選んでしまったためか、勉強内容に全くと言っていいほど興味が持てなかった。何なら、流体力学は学部時代に既にそのつまらなさを嫌というほど思い知ったので、大学院でこれ以上授業を聞く気にならず、適当に他専攻の授業をとるなどして流体力学の授業から逃げていた。

 

また、入学と同時に、研究室の先輩から山ほどのタスクが降られた。倉庫の掃除、PCの管理、書類の整理、その他諸々。正直先輩が散らかしたんだから自分で片付けろよ、と言いたかった。めんどくさくなったので、いるかいらないかよく分からないものは片っ端からゴミ捨て場に放り込んでいった。また、何か知らないけどやたらシステマチックに管理したがるラボボスのような先輩がいて、その複雑なシステムについていくのはほんとに一苦労だった。ゼミがあるたびにgoogle calendarで全員に招待メール送って参加不参加を答えさせ、不参加の人間はcalendarのボタンとgmail双方で先生およびゼミ係(僕)に連絡。ゼミ係の僕は不参加の人数が合ってるか確認して先生に報告、合っていなかったら本人に連絡して確認。確認でき次第参加者のゼミ資料を共有フォルダの各学生のページから集めて人数分印刷、またゼミ用PCにファイルをコピー。発表の量等を見て発表順を決め、事前に通達。なんでそんなことしないといけないの!!!!!!!

というわけで、先輩から降られたタスクは徐々に無視するようになった。めんどくさかっただけじゃなくて色々人間関係的なゴタゴタもあったし、向こうも気まずくなって話しかけてこなくなったしでめでたしめでたし。そういうわけで、研究室に行くのが非常に億劫だった。行くと仕事振られて自分の時間がなくなるし、先輩と顔合わせるのも気まずかったし。

 

一方で、同期との人間関係は非常に良好だった。僕の専攻のうち、僕と同じ大学からロンダリングした人が3割くらいいて、その他にも友達の友達だったりとか、高校時代の先輩とか、院試の面接の待ち時間に仲良くなった人とか色々いたから、入学時点で既に半分くらいは友達だった。というわけで、始めの頃はクラスの中心に鎮座してイキりまくってました。休み時間中オラつきすぎて秘書のお姉さんに怒られちゃった。根は真面目だからすぐ静かになったけど。

もう入学ガイダンス初日から宅飲みするわ宅飲みするわ宅飲みするわで、今思うと宅飲みしかしてなかった。一人暮らしすることを目的として院入ったんだし、外で飲むなら別に実家暮らしでもできたんだから、間違っていなかったと思う。ある日僕のうちに7人くらい集まって宅飲みして、23時頃に「てかカラオケ行かね?」ってなって、カラオケ向かう途中にさらに3人くらい引き連れて朝の4時まで歌い、各自帰宅就寝後10時半からの講義に出席したときは何か青春(?)って感じがして謎に感動した。

 

また、入学直後からバイトを探しまくっていたが、なーんとなくしっくりくるバイト先が見つからなかった。というのも当時の僕は学生あるある4月病にかかっており、研究に全力投球、金銭面は高時給バイトで短時間で工面、っていう理想的な状況を思い描いていたため、条件に合うバイトが見つからなかったからだ。結局見つからず、妥協して大学受験の個別指導塾を始めた。それだけでは稼ぎが足りないので、ビドフランスのバイトに応募した。落ちた。4月なので応募が殺到し、タッチの差であふれてしまったようだ。仕方ないので、次はドトールに応募した。ドトールは学部4年で1年間やっていたので、流石に受かるだろうと思って受けて落ちた。次は地元のスーパー。ここは学科の同期が先に受けて採用されていた。するとその同期がシフトをばっくれ店からの電話にも出ず音信不通、といった失態をやらかしたせいで、新しいアルバイトの募集が中止になった。というわけで不採用。その次はサンマルクカフェ。ここは面接した時点で既に人が足りていたのだが、アルバイト募集掲載の記事を取り消し忘れていたらしい。要するに募集していなかったので不採用。次、31アイスクリーム。まあ男が働いているイメージはあんまないよなー、と思いつつも受けてみたけどまあ不採用。男だから仕方ない。そうして、7店舗目に受けたレストランにようやく採用された。

 

塾のバイトは、家から電車1本で行ける範囲を希望(正確には希望というより条件)していたのだが、堂々と無視し、柏駅で乗り換えて出勤する校舎に飛ばされた。ふざけんなw その時点でガン萎えだった。どうしてたかだかバイトのためにスーツ着て片道40分もかけて出勤しないといけないんだよ。しかも帰りは電車が少ないから1時間はかかった。やれやれだぜ...。しかもバイト先は講師の半分くらいを理科大生(理科大野田キャンパスが近いため)が占めており、融通の利かない真面目君だらけだった。実につまらなく、ひたすらモチベーションが下がり続けた。理科大生全般に対して特定の感情はないが、あそこで働いてた理科大生は理科大生の負の部分を集めて凝縮してしまったような感じだった。まあ塾講師という職業柄仕方ないのかもしれないが。その癖たまたまバイトを始めた時期が一緒だったってだけの女の子にしつこく粘着し、「俺と〇〇さんは仲良しだから~」とか言っておきながら陰で「私××さんに仲良いって思われてるみたいなんですけど正直迷惑なんですよねw」とか言われてるの聞いちゃったときは笑いが止まらなかったwwwwww

4月の途中から入ったため、始めのうちは個別の授業を持たず、学校の数学の課題をサポートする枠を担当した。基本的には生徒に自由に課題をやらせて、質問があったら手を挙げてもらって、こっちから対応。質問が出なくても定期的に「順調?」みたいなことを聞いたりもした。結局、こういう場ではコミュニケーション力の高い子がたくさん質問し、調子を聞かれた時も的確に分かりやすく状況を伝えられるので、先生を上手く利用できる。逆にコミュニケーション力の低い子は分からないことがあっても質問できず、調子を聞かれても「大丈夫です」しか言えないので伸びない。コミュニケーション力と学力にある程度相関があるとしたらこういった要因が大きいのではないかと思う。この枠を一緒に担当した学部2年生の子はあまり頭がよくなく、質問されても「難しい問題だね~、いじわるな問題だね~」って答えるだけった。もうこの子クビにしろよw

この枠がまさかの夜8時半からあり、非常にめんどくさかった。スーツ着用と通勤時間。それでいて月給5000円未満。唯一得たものがあるとすれば教え子JKのLINEくらいですかね!!!

また、性格クソ悪くて見た目30歳の大学1年生のバイトの女の子に好かれてしまい怒涛のご飯誘ってくださいLINEが送られてくるなどして普通に不快だった。僕が授業を終えると僕が荷物をまとめ終えるタイミングをずっと待っていて、帰ろうとすると一緒についてきた。まあそれは可愛いからいいんだけど、駅まで歩く間の話の内容が如何にも偏差値30以下のFラン大学生って感じだった。まず、他のバイト及び社員さんの悪口。次に、ビール飲めます自慢。お前まだ18のガキだろうがw ビール飲めるとか何のアピールにもなってねえわw おっさんかよ(笑) しまいには下ネタ。「〇〇君と〇〇ちゃん絶対ヤッてますよ~~wwwww」等と。やっぱ顔面不細工で頭も悪いと、女を捨てて汚いおっさんキャラで「私いつでもヤれますよ」アピールするしかなくなってしまうのだろうか。かわいそうに..............。適当に受け流しているうちに最早話しかけてこなくなった。代わりに別の男のこと今度映画行くとか言う話をめっちゃ大きな声で話すようになった。おう。是非楽しんできてくれ。もう俺に絡まないでくれな✋ って気持ちだった。

 

レストランのバイトは9月頃に始めた。平日の夕方はあまり客がこないのだが、なぜかシフトに7人くらい入っていた。入りたいって言えばほぼ無条件で入れさせてくれる方針だったのだ。学部時代ドトールでバイトしていたが、経営店舗数4店舗くらいの会社が運営するフランチャイズ店だったので、非常に厳しかった。どう考えても4人はいるだろ!ってとこを無理やり2人のシフトでまわされたりした。一方このレストランは直営店だったため、店長の意識が非常に低かった。「今日もお客さん少なければいいな~」等と言っちゃったり。という感じで、緩々とだらだらとやっていた。そうしているうちにバイト内で彼女ができて色々とごたごたが発生するが流石にここでは割愛する。

 

5月の初めにゲーミングPCを購入した。卒論時代の研究室で各PCに先輩が海賊版のソフトを入れ、毎日のように研究室で対戦していたのだが、卒業してからも各自購入して対戦しようと約束していたため、買った。買った日とその翌日は合計で30時間くらいプレイした。流石にそのうち飽きるだろうと思ったものの、秋頃まで欲が尽きなかった。学校から帰ってきて夕飯を済ませたら、さっそくプレイ開始。翌日の朝4時くらいまでやることもしょっちゅうあった。そうして少しだけ寝てから登校。学校から帰宅するとまた翌朝までゲームした。休日は当然朝から晩まで。勉強に真面目に打ち込めなかった1番の理由はこれだろう。

 

9月頃から就活やんないとなー、っていう気持ちが芽生え始めたが、何をすればいいのかよく分からず、適当な合同説明会に3回ほど参加するなどした。参加するたびに周りの学生の意識の高さに圧倒され、自信を失って帰ってきた。一応インターンの募集用紙ももらったりしたが、貰って満足して応募せずに捨てていた。そんなある日、11月に参加した説明会で、5社回るとスタバカードがもらえるというものがあり、5社目特に興味のある会社が見つからなかったので適当に目の前にあったニトリのブースに入った。説明内容は1ミリも覚えていないが、説明終了後プレゼンてんたーに半ば強引にインターンの応募用紙を書かされ、参加することになった。何だかんだ、ここで僕は救われることになる。後日インターンに参加するわけだが、学外の学生と触れ合える楽しさ、そして説明会で聞くより圧倒的に業務が理解できる2点に強い魅力を感じ、今後もインターンにたくさん参加していこうという決意をできたのだ。ニトリには非常に感謝である。ニトリ様様。

ちなみに夏のインターンに参加しなかった理由は2つある。1つは、就活経験者なら分かると思うが、マイページの作り方、そしてログインの仕方がくっっっっっっっっっっっっっっそめんどいから。もう1つは、自分が参加すべき業界、企業が分からなかったからである。今思うと1つ目に関しては、まあ頑張れ、って感じだ。2つ目に関しては、そもそもインターンに参加してみないと興味あるかどうかなんてわからないんだから、深く考えずにとりあえず参加してみるべきだった。結果よければすべてよしなのでまあ後悔はしていないが、後輩たちには夏のインターンに参加することを強く勧めた。

そうして、1月には1dayインターンに4社ほど参加した。インターンの意義は勿論会社を理解することにあるが、それ以上にグループワークに慣れること、そして就活の情報交換仲間を作ることが大きな意義を持っているように感じた。そういうわけで、始めのうちは会話についていくだけで精いっぱいだったグループワークも、インターンに参加するうちにリーダーシップを発揮してチームを引っ張れるようになっていった。3月以降は就活が本格化するが、それについては後述。

受診後

 

 私は今、柏の葉にあるカプセルホテルに泊まっている。

一昨日実家にて症状が完治したと思ったため、早く原状復帰を果たしたいと思い、調子に乗って「このまま引き払い当日まで下宿先で過ごすわ~」等と言ってしまったものの、既に布団は引っ越し先に送ってしまったため寝袋で寝ることになるからである。

実家を出る時点では寝袋で寝る前提だったのだが、家に帰る途中若干の動悸を感じ、自宅で一人で寝ることに抵抗を感じたため、カプセルホテルを探し、4泊することにした。

 

3/10夜、自宅で夜ご飯を食べているとき、いきなり胸がそわそわし、息苦しい感覚を覚えた。原因不明の不安感によりご飯を食べれなくなり、流石に親に怪しまれると思った。そこで、前回のブログを一部書き換えたうえで丸ごと親に見せるに至った。

 

見せた時点でだいぶ落ち着いた。いざとなったらこの日記に書いてある事実に則って家族に助けてもらえる(母親は看護師)、という安心感を得たからだろう。

とはいえ不安は完全には消えなかった。もしこれが長引き、ろくに仕事ができずクビになってしまったらどうしよう、っていう不安と、僕のせいで親を心配させて親まで病んでしまったらどうしよう、っていう不安。さらには、「僕のせいで不安にならないでね」みたいなことを言おうか迷ったけど、それを言うことによって「自分のことで十分大変なのにおまけに私の心配までさせてなおさら負担になっちゃったらどうしよう」みたいに思わせるのではないか心配になり、言えなかった。自分でも対処法を調べようとしたが、ネットで調べると不安になる記事ばかり見ちゃうだろうから、やめなさい、と言って止められたので、完全にお任せした。

 

僕はお風呂に入って、床に就いた。腹式呼吸を100回くらい繰り返したら一気に楽になった。そうして翌朝爽快なる気分で目覚め、念のため心療内科を受診した。この時期だしストレスだろうから、落ち着いて、よく寝てよく食べて様子見ましょう、と言われ、寝つきの良くなる漢方薬を処方された。実家への帰り道はよく晴れていて、とても気分がよかった。

その勢いで、下宿先に帰ることにした。昼ご飯を食べた後実家を出たが、帰りの電車でわずかに動悸を感じた。しかし、「まあそんなものだろう」と思って気にしないよう努めた。家に着き次第、友達とカレーを食べに行った。すると、食べているうちに少しずつ気分が悪くなってきたが、普通に会話することはできた。正直この時の気分の悪さは、今までろくに食べれてなかった状態で一気にたくさん食べたことが原因かもしれない。スープを少し残して、家に帰った。

そういった状態だったので、家で寝袋で寝ることはせず、カプセルホテルを利用することにした。ホテルに向かう途中、Twitterのフォロワーから電話がかかってきて、「大好きな彼氏がいるのにTinderでの浮気がやめられない」という相談を受けるなどした。ホテルに着くと、思った以上の豪華な設備に興奮し、すぐに寝ることが出来た。

 

※ここで執筆時刻が飛ぶ。現在は3/13の夜。

 

翌朝3/12, 入浴後優雅に朝食をとり、チェックアウトした。入浴後体重を図ると48.8kgだった。そりゃ体調も悪くなりますわ。今後はよく寝てよく食べればそのうちよくなるだろうと思った。この日一日は療養の仕上げ日にしようと考え、ららぽーとのてもみんへ向かった。それがよくなかった。肩を揉まれる際うつ伏せのような形で椅子に座るため、喉ちんこが圧迫され、マッサージが終わると喉に不快感が生じ始めた。少し不安を感じつつも、たくさん食べることに決めた直後だったので、昼ご飯はポムの木でオムライスを食べた。食べているうちに、案の定気分が悪くなり始めた。そのあとは家に帰り、片付けやゴミ捨ての続きを行い、wifiの除去工事を迎え入れるなどした。そうして、18時半頃カプセルホテルに2泊目のチェックインを行った。

 

夕食を食べ始めると、胸のそわそわがひどくなりはじめた。動悸もした。「いやいややめてくれよ、もう完治したんだろ!?!?」って思ってると、今度は手と顔がしびれるような、じんじんした感じになってきた。始発乗って救急外来行った日の感覚に似ていた。辛くはなかったけど予想外だったので不安になり、母に電話したところ、「そういうこともあるから大丈夫だよ、落ち着いて、明日は実家帰ってきな」と言ってくれて、少しは落ち着いた。そうして、この日記を書いてるうちに少し落ち着いてきたかと思いきや、書いてるうちに再度悪化した。もう作業に集中できなかったのでそのまま寝ようと思ったが不快感が邪魔して眠れなかったので、スマホをいじって1時半頃に就寝した。

 

翌朝3/13は寝坊して8時半に起床した。チェックアウト後バイト先に制服と入館証を返却し、家に帰ってゴミ捨てや片付けを行った。そうして、実家に帰った。

昨日の反省を生かし、「いつ症状が出るか分からない」という覚悟をもって過ごした。すると、1日を通して不安症状はほぼ出ずに済んだ。今日中に直そうなどと思わず、よく寝てよく食べて、ゆっくり治していきたい。

苦境

私は今、喉の炎症を発端とする不安症に悩まされている。

治療の際医師に伝えるための備忘録として、また全てが治った後に笑い話として読むため、記録を記した。

暇つぶしだと思って斜め読みでもしていただけると幸いである。

 

 

不定愁訴と口呼吸

 

荷造りを終え、アート引越センターの到着を待ちながらブログを書いている。

 

諸事情により、一部事実と異なる記述がある。

 

 

 

さて、先日からの体調不良及び精神不調もだいぶ収まってきたが、完治するにはまだしばらくかかりそうである。ここ3週間あたりの過ごし方は、税金、医療費、及び医療の無駄遣いと叱られることもあり、その通りとしか言いようのない行いで合った。

 

2/15にフィリピン・台湾旅行から帰国し、その後学校に行ったり家で休んだりと、特に変哲のない日々を過ごしていた。2/18朝, 自宅の横の歯医者にて抜歯を行い、その日は1日寝て過ごした。翌日2/19は朝歯の消毒を行い、その後の記憶はないがぼんやり寝て過ごした気がする。

 

2/20早朝深夜、突如呼吸困難感と共に目覚めた。連日報道されているコロナウイルスに呼吸困難による突然死の症例があることを思い出した僕は、気付いたら救急車を呼んでいた。正直呼ぶことに対しかなり抵抗は合ったため、「通報してしまってよかったのでしょうか」等と口走ったが、それに対し「心配なようでしたら向かいますよ」と言ってくれたため来てもらった。その後搬送先で簡単な診察とレントゲンを撮り、特に何もないとのことでタクシーで帰宅したが、何故か不安感がとれず、息苦しさに耐え続けた。TikTokTwitterに音声投稿したのを覚えている。その日は昼前に起きて引越センターの箱を受け取った後、学校に行った後ペアーズで知り合った子とご飯を食べに行った。本来ならレストランを俺が探しておく予定だったが深夜にバタバタしていたためその時間が取れず、行き当たりばったりでそこにあったカフェに入ることになってしまい、申し訳ない限りであった。

 

それから毎日、息が詰まることに恐怖を覚え、また一度寝付けても実際に息が詰まって目が覚めてしまい、寝不足の日々を過ごした。

 

2/26、お土産を渡す目的などで実家に帰った。僕の実家は朝6時から朝食と決まっていたので、夜なかなか寝付けなかったにもかかわらず朝早く起こされた。夜布団に入ってからはやたらと息苦しさや恐怖を感じたため、翌日必ず病院に行くことを決意した。

 

2/27総合外来にかかったところ、胸は問題なく、若干喉に腫れがあるとの診断を受け、薬をもらった。

 

2/29, 同じように寝付けない中、友人に喉の辛さをLINEで話した。「急性喉頭蓋炎に気を付けろ(喉が腫れて放置した場合窒息死することもある病気)」とのセリフを聞き、(自分はちゃんと病院にも行ってるし大丈夫)と言い聞かせつつも急に不安になった。そんな中、いきなり喉に違和感を抱き、すぐにパニックになった。急性喉頭蓋についてネットで調べると、発熱、発語困難、咳、のどの痛みなどの症例が書かれていたが、どれも当てはまらなかった。しかしながら、そんなことは当時の僕の頭には入ってこなくて、「最悪の場合死に至る可能性がある」という記述だけが目に飛び込んできた。とはいえ一度救急車を呼び何事もなかった以上、もう一度呼ぶことにかなりの抵抗があった。そこで医学部の友人に電話し状況を話した。すると、話している様子がおかしい、呼吸がおかしいから今すぐ救急車を呼べ、と言われ、その一言で意を決して救急通報を行った。やはり何ともなく、その日はタクシーが拾えなかったので歩いて帰宅した。

 

 

 

何だかんだここまで、寝付けなかったり救急車呼んだりでろくに寝れてなくて、そろそろ精神的にも疲れてきたころだった。そこで、もう病院には頼らず、気合で夜寝付くことにしたのだが、ちょうどタイミングが悪かった。

 

 

 

3/2の夜、今日こそは寝ようと思っていたところ、とある通話アプリでたまたま知らない人との会話がものすごく盛り上がってしまった。ここでさっさと寝ていれば違ったのかもしれないが結局3時ころまで起きていた。その後突如喉に不快感を抱き鏡を見たところ、口蓋垂(喉ちんこ)が伸びていることに気づいた。怖くなったのですぐさま耳鼻科にかかることにしたものの、それまでの時間寝ることも何となく怖かったので、朝9時まで起き続けた。要するに徹夜した。

 

耳鼻科で自分の番が回ってきたので簡単に説明すると、口蓋垂の様子を一瞬見て「ああ大丈夫だよ」と言って消毒液のついた謎の棒で口蓋垂を強く押し、「おええええぇぇぇぇぇえぇっっっ」となり、その後鼻炎の治療をした。具体的には、鼻にチューブのようなものを差し込み、そこから鼻炎薬を注入していたものと思われる。チューブを差し込んだまま5分間待機した後チューブを抜くと、一気に鼻の通りがよくなった。

 

どおやら、アレルギー性鼻炎により鼻が詰まり鼻呼吸ができなくなり、無意識のうちに口で呼吸をしていたらしい。原理は分からないが、口呼吸をすると寝ているとき窒息感を抱くことはよくあるそうだ。そこで、抗アレルギー剤等をもらい、帰宅して昼寝をとった。

 

夕方はゲームをするなどして過ごし、今夜は久々にまともに寝れると信じていた。

 

 

口蓋垂過長とパニック状態

 

3/3の夜、口蓋垂の伸びが深刻な問題ではないと診断を受けたため、不快感は残るものの眠れると信じていた。しかし、やはり不快感は続くもので、眠くなるまで寝れる気がしなかった。そこで、やはり某通話アプリで知らない人と通話しながら、眠くなるのを待った。すると、朝2時ころになって、突如喉の不快感が急激に増した。鏡を見ると、口蓋垂がさらに伸びていた。前回と同じく医学部の友人に電話し状況を話したところ、「やばいんじゃね?大丈夫かお前。死ぬんじゃね?」と言われ一気にパニックになった。既に救急車を2度も読んでおり、3度目の正直ということで次呼んだら怒られそうな気がしたので、救急相談センターなるものに電話した。千葉県のセンターは24時間営業と書いてあったが何故か営業時間外と言われつながらず、スマホをぶん投げそうになった。なかなか慌ててしまい、焦って救急通報しそうになったが、無理に千葉県にこだわらず東京都のセンターにかければいいことに気づき、電話した。状況を話したところ、とりあえず緊急性はなさそうだが、心配なら緊急外来に行ってみてもよいのでは、と言われ夜間診療所の電話番号を教えてくれた。そこで、夜間受け入れてくれる病院を探し、現着予想時刻を伝え電話を切った。そしてタクシーを呼ぼうとすると、残念なことに1台も近くにいなかった。よって、再度病院に電話し、やはりいけないので朝まで待つことを伝えた。

 

気を紛らわすため某通話アプリで再度知らない人と通話してみたが、不安感が強すぎてまともに会話できなかった。やはりこのままではまずいと思い、1時間半かけて歩いて病院に向かうことを決意し、病院に再度電話した。すると、「え、電車使って来る方が早くないですか?」と言われ、既に朝4時を過ぎていることに初めて気づく。5時過ぎに始発が出るため、それに乗って行くことにした。とはいえ、家から駅までの徒歩時間を除いても、30分以上は暇を持て余す羽目になった。

 

この30分がとてつもない地獄だった。

 

もし今口蓋側が伸びて気管につまるか、または喉を埋め尽くして窒息したらどうしよう、との恐怖心で頭がいっぱいになった。車が通るたびに「タクシーか!?」と期待して振り返るも、残念ながらタクシーではなかった。駅前にセブンイレブンがあったため、始発までそこで待機した。この間のパニック状態は我ながら異常だった。恐怖心故に息が苦しいような感じに陥り、その感覚がさらなる恐怖を煽り余計に息苦しくなった。手足は震え、しびれ、ペットボトルの蓋を開けることすら一苦労だった。さらには、1人で恐怖に耐えるのがつらくなりすぎて、セブンの店員さんに話しかけてしまった。「今〇〇〇にある病院に向かう途中なんですけど、タクシーがないので始発待ってて、でも今すごく苦しくて、それで、それで、、、、」って言ってたら「救急車呼びましょうか?」と言われ「いや、大丈夫です、落ち着かなかったので話たかっただけなんです、少しはましになりました、ありがとうございます。」と伝えた。夜勤専門の店員さんだったそうで、「〇曜日と〇曜日のこの時間にいるので元気になったらまた来てくださいね」って言ってくれて少しは心がましになった。始発電車に乗りこむと、思ったよりも人が多かった。あと一駅というところで、指示通り「そろそろ着きます」との電話を病院に入れた。電車内だがそんなことを気にしている余裕はなかった。駅につき次第タクシーに乗り込み、病院へと向かった。

 

 

 

今すぐにでも医者に診てほしい、治してほしい、というこっちの気持ちとは裏腹に、まず事務の人が出てきて夜間診療についての説明を受けた。その後看護師さんが出てきて熱を測らされた。計り終えようやく診てもらえると思ったら今度は問診票の記入タイム。それも書き終え看護師さんに渡すと、「では今からドクター呼びますのでしばらくお待ちくださいね~」と言われ、頭がバグりそうになった。

 

ようやくお医者さんが登場し、まず首を触られたので「あ、口の中です」と言ったら「いや喉仏は中から見えないでしょ」と言われ、喉ちんこのことを喉仏と間違えて伝えていたことに気づいた。で、喉ちんこを見てもらったが、「なんか炎症起こしてるね。原因は分からないけど。窒息することは絶対ないです。」と言われた。「じゃあ朝9時から耳鼻科の診療受けられるけど、いったん帰る?それともここで待つ?」と聞かれたが、ここで待つ以外の選択肢が存在しなかった。もし自宅との行き来の間に窒息してしまったら悔やんでも悔やみきれなかったから。窒息は絶対ないって言われたのにね。

 

そうして病院の廊下で待ち続けたが、もしこうして待ってる間に窒息して、救急治療室に運び込まれるも処置が間に合わず死んだらどうしようとか思うと気が気でなかった。やたらTwitterに色々書き込んで気を紛らわしていた覚えがある。途中眠くなったが(徹夜明けなので当たり前)、寝落ちしかけるたびに謎の恐怖を抱き、目が覚めた。

 

しかし、青シャツの救急ドクター達はめちゃくちゃかっこいいな、って思った。僕は4月からSEになるが、あの青いシャツ着てシステム開発したいと思ってしまった。あと、病院で働いている女性は大体可愛い。体感的には半分看護師、あとは事務とかその他諸々って感じだったけどどの職種の人も可愛い人が多いと感じた。あと、医者も看護師も髪色自由なんだな、って思った。

 

9時になり診療が始まった。受付番号の表示が分かりづらく、僕は3番目くらいに呼ばれると思ったのだが実は予約の患者が先に10人くらいいた。その間も口蓋垂が伸びるような感覚があり、幾度となくトイレの鏡で長さを確認し、喉に詰まるほど長くないことを確認した。もしここで詰まったら耳鼻科の先生は対応してくれるのだろうかとか色々考えながら1時間ほど恐怖心に耐え、ようやく順番が回ってきた。

 

早速変なガスのようなものを喉に向けて噴霧し、再度「おえええええっっっ」ってなって吐きそうになった。それを3回ほど繰り返した。麻酔である。麻酔が効くまで外で待たされたが、喉の感覚が弱まるにつれ、今度は麻酔薬で窒息したらどうしようとか心配になり始めた。もう誰に何をされようと全てが怖かった。自制心を恐怖心が追い抜き、事務の人に「これって窒息しませんか?」などと聞いてしまい、指に着けて酸素濃度を測る器具をわざわざ出してもらってしまった。そんなこんなしているうちに麻酔が聞いてきて、内視鏡タイムスタート。鼻からカメラを入れて、喉のあたりを撮影した。喉が若干赤くなっているくらいで、他は異状なしだった。口蓋垂の伸びが怖すぎて他何も気にしてなかったけど、とりあえず急性喉頭蓋炎やポリープの心配はないことが分かって一安心できたと思いきや最早喉ちんこ以外どうでもよすぎてどうでもよかった。肝心の口蓋垂過長に関しては、アレルギー性の物っぽいけど原因は分かりません、とのことだった。ただし、これが原因で窒息死するとは考えづらい、と。医者だからそりゃ無責任に「絶対ないです!」と言い切れないのは分かるけど、それでも「考えづらい(ないとは言ってない)」っていうセリフはちょっと怖いよなー、と思った。

 

診察についてはここまで。まともな精神状態なら、「死ぬとは考えづらい」って言われたんだから安心して帰るんだろうな、ここで。

 

 

自称軽度鬱状態

 

診察を終えた後、麻酔が引くまで診察室の前で待ち(麻酔の影響で窒息した際即座に対応してもらうため)、会計を済ませた。学校の最寄り駅までのシャトルバスが来たため、それにのり最寄り駅へと向かった。その間も何度か寝落ちしかけた(徹夜明け、何なら2日前から3時間ほどしか寝ていなかったので)が、またもや謎の恐怖感により目が覚めた。それを3回ほど繰り返しているうちに、駅に着いた。お腹が空いていたので早速マクドナルドに向かい、喉に刺激の少なそうなフィレオフィッシュを注文した。3口ほど食べたところでいきなり吐き気がして、残りを全て捨てた。何となく涙が出そうな気分だった。バスで学校に向かうも、到着してバスから降りると世界が暗く、視野が狭く見えた。前日までは爆笑しながらPCゲームしたり友達と通話したりして何だかんだ光のある世界だったのに、世界から光が失われたかのように感じた。何の変哲もないフツーの日々がいかに輝かしいものだったのかを知った。ありふれた小説に出てくる一節のようにも見えるが、これは本当に体感したものだ。その日は天気が悪く雨も降っていたため、精神状態への悪影響は計り知れなかった。研究室に入ると、担当教員の秘書さんがいつもどおり働いていたので挨拶をした。秘書さんに体調が悪いことを話すと「あらやだ、コロナじゃないの?wwww」みたいにふざけてくれたが、笑い返す気力もなかった。徹夜明けだった僕は、研究室に合ったソファベッドにぶっ倒れ、不安で胸が締め付けられる感覚を覚えながら眠りについた。

 

 3時間ほど睡眠をとり、起床した。17時過ぎだった。相変わらず喉の違和感が引いていなかったため、もう1か所耳鼻科に向かうことにした。すると、秘書さんが車を出してくれると言い、普段なら断っていたところだがお言葉に甘えさせてもらった。一人でいるとおかしくなってしまいそうだったからだ。たわいのない話をしながら、19時診察終了の耳鼻科へと向かった。

 

この耳鼻科は非常に腰の低い先生が見てくれた。先生の見解を一言でまとめると、「気のせいでしょうね」といったところだろうか。でも気のせいという雑な言葉は使わず、「私は普段のあなたの口蓋垂の長さを知っているわけではないので、今の長さが正常なのか長いのかは分かりません。本来口蓋垂というのは非常に丈夫な粘膜でして、そう簡単にアレルギー反応が起こる個所ではないのです。口蓋垂にだけピンポイントに刺激を与え続けたのならわかりますが、食べ物何て喉を通過する際ほんの一瞬口蓋垂に触れるだけです。仮にアレルギーが原因で腫れているのだとしたら、口蓋垂だけでなく全身にアレルギー反応がでるはずなのです。ですが舌や喉の奥を見たところ特に異常はありませんでした。喉の奥というのは非常に敏感でして、少しの刺激でも気になってしまうことはよくあります。その原因として、ストレスが挙げられるかもしれませんね。」と言ってくれた。僕が「気のせいってことですか?」というと「いやいやいや、気のせいと言ってしまっていいのか分かりませんが、精神的な要因も可能性としては大きいのではないかと、、、」といった風に、気のせいという雑な言葉を使うことを極力避けてくれた。非常に優しいお医者さんだった。

 

その後、マツモトキヨシにて薬をもらい、友達と電話しながら帰宅した。その間あまりにも会話が盛り上がらなかった。その後その友達にはLINEをブロックされてしまった(マジで)。それだけで、如何にこちらの態度がまずかったが分かるであろう。

 

家に着くと、「何もしたくない」以外の感情がないことに気づいた。友達と話すのも嫌だし、ご飯食べるのも嫌だし、かといってスマホで気分転換するのも嫌だし、じゃあ寝るしかねーな、って思うと寝るのすら嫌だった。何なら寝るのが一番怖くて一番嫌だった。とはいえ薬を飲まないといけなかったので、夕飯代わりにチョコボールを3つ食べ、その後に薬を飲んで、シャワーも浴びずに布団に入った。21時ころだった。

 

この日1日の症状を振り返ってみて、明らかにうつ病患者になりかけてると思い、心療内科受診経験のある友達に電話をかけてみるも、飲み会中で出てもらえなかった。解決策が欲しかっただけであり友達と話がしたかったわけではなかったので、厚生労働省の電話相談窓口に電話をしてみたが、回線が込み合っていて全然つながらなかった。世の中心を病んでしまった人っていっぱいいるんだなー、って思った。今こうしている間にも自殺を考えている人がたくさんいるとして、回線が込み合っていたがゆえに救われず自殺を決行してしまう人がいたとしたら、何ともやるせないものだろうか、等と思ったりした。

 

そんなこんなしているうちに、帰宅中にこちらから電話をかけつながらなかった友達から折り返しの電話が来た。朝救急外来を受信したこと、メンタルがやばいことなどを話した。彼は親身になって聞いてくれ、「今からうち来なよ」と言ってくれた。まだ22時だったので終電はまだまだ先だった。これが0時とかじゃなくてよかったーと思いつつパジャマの上に上着だけ着て、北千住に向かった。その時点で心が少しは楽になった気がする。

 

情けないことに、彼の家に着くまで一人になるのが怖くて、電話をつなぎっぱなしにしてもらった。その状態で、1時間ほどかけて彼のうちに向かった。ちなみに彼は彼女と同棲していたので若干気まずかったが、せっかく誘ってくれたのでお言葉に甘えてしまったというか、藁にもすがる思いで行かせてもらった。

 

向かう途中も何だかんだ不安ではあったけど、まあここを耐えればあとは友達の家でゆっくり寝れると思って頑張って歩いた。到着すると、同棲中の彼女が色々話しかけてくれたのだが、相変わらず愛想のよい反応ができなかった。何なら不機嫌に見えてしまっていたかもしれない。ちょっとだけお喋りした後に、水を飲んで寝た。

 

 

回復の兆しと不快感の再発

 

友人の家で目を覚ますと午前10時ころだった。6時間以上も連続で寝たのは2週間ぶりくらいだった。適当に昼食を済ませた後、もう1泊する許しを得た。ただ着替えがなかったのと引っ越しの準備をしなきゃいけなかったのとで、一端家に帰った。その間少し心細さや不安感を抱いた気がする。やることを済ませ、友人の家に戻ると夕方17時ころで、そのあたりから喉の不快感が強まり、気分も悪くなった。友達とカードゲームをしたが、あまり頭を使えなかったように思える。

 

いい加減この不快感に何とか終止符を打ちたいと思い、次の策をとった。

 

本来僕が感じていた不安や恐怖というのは合理的なものではなく、それは何となく頭で分かってはいる。しかし、例えばAという不安を打ち消す根拠を探しBという根拠が見つかったころには、今度はCという不安が沸き起こる。そこでCを打ち消すDという根拠が見つかったころには、Eという新たな不安が湧き起こったり、またAという不安が再発することすらあった。

 

そこで、各不安要素とそれを打ち消せる根拠を紙に書きだした。

 

正確には、今思うと根拠なんて「3人の耳鼻科医が大丈夫と言ったのだから大丈夫」でよかったはずなのだが、当時は正常ではなかったのでなんか細かいことを色々と書き出した覚えがある。そうしていくうちに、少しずつ安心感が得られてきた。また、AskDoctorsという医療版ヤフー知恵袋を使って、「窒息することはないです」という回答を集めることで安心感を強化した。

 

少しずつメンタルも回復し、夜はFPSのゲームに興じ、日付が変わる頃に就寝した。

 

翌日3/6, 昼過ぎまで寝て起きた後、再度FPSのゲームをやって、夕方頃自分の家に帰宅した。その後、もう大丈夫な気もしたが、不安が再発した場合に備えて念のため後輩の家に泊まらせてもらった。夕飯にレンジでチンするタイプのコンビニ弁当を持っていったら電子レンジがなかったのは予想外だった。大丈夫だとは思ったものの、やはり後輩の家に向かう途中あたりから喉の不快感が生じだした。そうして、家について床に就いた後も、しばらく調子はよくならなかった。収まるまでスマホをいじって、朝の5時ころに就寝した。

 

翌日及び翌々日の3/7,8は、既に下宿先を引き払った友達がうちに泊まりに来た。互いに利益が一致していて助かった。3/8は朝起きるとだいぶ気分はマシだった。しかし鏡を見ると喉ちんこがいっそう腫れているように見えた。そこでその写真を撮って医学部の友人に送ると「めっちゃ腫れてね!?」との返信が来た。医学生がこういう発言をするのは本当にやめてほしい。その一言でこちらがどれだけ不安になるか、想像したことがないのだろうか。後々その旨を本人に伝えたところ謝ってはもらえたが、一度生じた不安感はそう簡単に消えることはなかった。夕方学校に向かい、先生から指示された作業を行っていたが、あまりにも不快感が増したためこれ以上作業できないことを先生に伝え、学校を去った。ちょうど近くのサイゼリヤにて友達が夕飯を食べていたのでそこに合流したが、ミラノ風ドリアを1杯食べるのが限界で、それ以上の食欲はわかなかったし、どんな雑談や話しかけに対しても無愛想に必要最低限の受け答えをすることしかできなかった。

 

皆が食べ終わったので店を出て、バスで家に帰ると同時に、寝袋に倒れこんだ。泊まる予定のない近所の友達が2人遊びに来たが、まったくもって相手にできなかった。話しかけられても全部無視。しまいには「これが最後の別れになるかもな(卒業するから)、じゃあな」という言葉すら無視してしまった。

 

どんどん不快感が増し、翌日朝に耳鼻科に行く予定は入っていたもののそれまで耐えられる気がせず、救急相談センターに電話をした。すると、耐えられるなら耐えてくださいとの答えをもらって少し楽になった。なぜ楽になるかというと、不快感の大半は不安感から来ている。もしこのまま喉詰まらせて死んだらどうしようという気持ちが不快感のもとになっているので、「救急相談センターに症状を伝えたけれども少なくとも緊急性はないと判断された」という事実が得られたので、少しは楽になった。とはいえ眠れるほど改善したわけではなかったので、結局4時くらいまでスマホをいじって、眠くなってきたので寝た。

 

眠るまで、口蓋垂切除の記事を読み漁った。口蓋垂がある程度の長さを超えると、もはや内科的な処置では対処できなくなるため、レーザー光線で物理的に焼き切る手術のことである。費用3万時間1時間で終わるものの、術後2週間は喉に激痛が走り続けるらしい。しかし、それをすることで喉の調子が完全に改善される、といった成功例が多いらしい。とはいえ、喉の不快感というのはやはり気持ちから来るものが多いらしく、口蓋垂を切ったところで必ずしも改善されるわけではないそうだ。よって、原因が口蓋垂の長さにあるのか否かは見極める必要性がある。そんなことを考えていると、楽になるようなならないような気がした。少なくとも、長さに原因がある場合、切除することで完全に改善されることになる。それが希望となって、少しは楽になった。

 

翌朝3/9, 起きると相変わらず気分は最悪だった。耳鼻科に向かう前にカフェによったが、3口くらい食べたところで全部残した。ぐったりしながら耳鼻科に向かい、診察を受けた。ここで気分が悪かった原因は、口蓋垂切除による症状改善を期待していたため、今の不快感は気持ちの問題ではないと考え、不快感を受け入れることなく正面からぶち当たっていたせいだと思う。しかしながら、診察を受けるとまず先週より全然長くないこと、気持ちの問題が大きいこと、切除は必要ないこと、等を伝えられた。そうして診察を終えた。結局、この違和感を受け入れることでしか今の状況には対処のしようがないという事実を認めた瞬間、一気に楽になった。

 

この日は一応、実家に帰った。決して鏡で喉ちんこの長さを確認しない、と固く決意し、メンタルを保つことにおおかた成功した。

 

さてと、記述内容の時間軸が記述時の時間軸に追いついてしまった。 

 

続きはまた今度。