ITとの出会い(後半・院生時代)

学部4年間を通してプログラミングに触れ、ITに多少の興味を抱くようになった。この記事では、どうしてSIer企業への入社を決めたのか綴っていく。

 

大学院に入ると、早速Fortranによる数値計算を伴う研究を任された。それは修論発表前日まで続けることになる。M1からM2に上がる時にMATLABライセンスが無料配布され始めたので、即インストールして使いまくった。それまではgnuplotというフリーソフトを使ってグラフを書いていた。春学期と秋学期それぞれにおいて情報処理の講義を取り、どちらもpythonを使った。プログラミングの基礎の学び方自体は十分身についていたので、これらを学ぶ上で大した苦労はなかった。

 

M1の夏休みは自動航行式ソーラーボートを作成する集中講義に出席し、C言語を使った自動航行制御のコードをいじった。このコードは毎年引き継がれているので1から創ったわけではなく、必要に応じて部分部分を改良する程度の作業だった。

今まで僕が行ったプログラミングはしょせんは1つのデバイス内で完結する作業システムであり、複数の機器間でやり取りしたり、機械を物理的に動かすシステムには触れなかった。このシステムでは、GPS情報から現在地及び現在速度を求め、PID制御計算によりラダー角を決め、PWMによりサーボモーターを制御して進行方向を調整した。プログラミングの世界が機械の世界とどうつながるのか、ここで初めて目にすることになった。色々書いたけどこの経験はSIerへの就職に1ミリも関与していない。

 

 秋学期あたりから就職活動を始め、プログラミングに興味あるしとりまIT業界にするかー、くらいの気持ちでIT企業の年収ランキング上位を調べ、まあ1~3位くらいのとこは入れればいいな~、等と思った。また、何となく人の相談に乗るのが好きで、抽象的な物事を論理的に考えることも好きだった。よってコンサルティング、広く言えば上流工程に携わってみたい気持ちがあった。この両面からキャリアを考え、ゆくゆくは某外資ITコンサル企業に応募し、面接までいったが祈られた。

 

M1の冬頃から、web系企業の長期インターンに参加した。普通この時期にやるものではないんだろうけど、何か就活に役立つって聞いてたし、開発経験を積んでみたかったし、あと有給のためバイトに代々できるし、っていうメリットがあったからだ。このインターンではReactを使ってとあるサービスのページを作るものだった。実際はページ作りに関与する前にgitHubの使い方等で躓き、開発には1ミリも携われなかった。そこではフリーランスの人も働いていたり、自由な時間に来てイヤホンで音楽を聴きながらコーディングするなど、非常に楽しそうな職場だとは思った。slackでは、「ごめんなさい、どうしてもパチンコ行きたいので今日は休みます」といった投稿がありそれによりその日のMTGが中止になるなどして驚きだった。基本的にこの職場の人たちはとても意識が高く、自分のスキルアップひいては年収アップのために日々努力、勉強するのが当たり前といった感じだった。そんな中で何か就活に役立ちそうだしお金貰えるし、といったモチベーションで参加した僕が活躍できるわけがなかった。

そうこうしているうちに就活が本格化してきて、このインターンでweb企業への内定をつかむか、大企業への一般的な就職を果たすか、どちらかに舵を切らざるを得なかった。正直中小ベンチャー企業で働くイメージや、高卒でフリーランスとして生計を立てている人と一緒に働くというイメージが全くつかめなかったので、やはり東大理系院卒の肩書と共に大企業に正社員として就職する方が自分には向いてる(というか元々それしか考えてなかった)と判断し、このインターンとはおさらばした。

 

就活が開始すると、そもそもIT企業ってなんだ?といったところから調べ始めた。色々調べてみたけれども結局よく分からなかった。日系大企業では"SIer"なるものの規模が大きく、他にIT企業って何があるんだろうって思ってグーグルとかヤフーとか調べてみたら"web系"とかいうものに分類されるそうだった。Googleがwebに含まれるというのが何か感覚的によく分からなかった。何となく「総合IT企業」みたいなのに分類されるんじゃないかと思ってたけどweb系らしい。よく分かりませんな。まあ検索エンジン作ってるしweb系なのかな。結局よく分かりませんでした。よく分からないけど、web系は技術力重視っぽいし、開発経験のない僕はやめておくことにした。あとAmaozonとかDeNAとかサイバーエージェントとかも。

 

日系の年収上位IT企業ランキングをいくつか見たところSIer企業が多かったので、とりあえずSIer企業をめざすことにした。SIerが何なのかよく分からなかったけど。

 

その後就活の中で少しずつ獲得した知識に基づいてSIerとは何かを記そうと思う。

 

SIerとは...System Integrator(訳 : システムを統合する者)の略。読み方は「エスアイアー」。設計からコーディングを1社で賄えないような大規模なシステムの開発を担う。コーディング(プログラミング)等は外部ベンダーに外注し、設計から外注までを担当する。規模が大きいため業務全体において外注の占める割合が大きくなるため、複数段階に分けて外注を行い、1次請け、2次請け、3次請けのように多数の請負会社が発生することがある。SIerで働く職種をSEというが、彼らに最も求められるのは開発スキルよりもマネジメント能力である。というのも、複数の下請け企業をとりまとめるため、それらの企業の人間とのコミュニケーションが重要になるからである(小泉進次郎構文気味...??)。

 

こういった感じで現在は認識している。

プログラミングを自分自身でやることは少ないそうで、実際文系卒のプログラミング未経験者も多数入社している。選考ではプログラミングスキルで足切りされることは絶対になく、むしろコミュニケーション力とリーダーシップが重視された。web系企業を技術力を理由に諦めたが、かといってコミュニケーション力に自信があるかというと、文系卒の人間も受ける中で多少の不安はあった。しかし、インターンや説明会を通して、自信がみなぎっていてかっこいい社員さんが多く、頑張って入りたいと思った。また、SIerというのは開発の上流工程から担うため、クライアント企業の事業設計にも部分的にだが携わることが出来る。いわゆるITコンサルティングのような業務もあるらしい。就活の初めに外資ITコンサル企業を受けたこともあってコンサルティングには興味があったので、是非そういった業務にも携わりたいと思った。

SIerをいくつか受けている中で、ITコンサルの重要性を最も実感した会社説明会があった。それは、ある私鉄の利用者向けアプリを作っている企業で、「〇〇鉄道使ってる人いますかー?お、たくさんいますねー。じゃあこの鉄道のアプリをうちが作ってるんですけど、使ってる人いますかー?あ、0人ですか~。便利なんで使ってくださいね~。」という説明である。

いや全然ダメやん。

せっかく便利なものを作ったのに誰も使ってないの?これは実は便利じゃないのか、それともマーケティングができていないのか。いずれにせよアプリの設計か、もしくはそもそもの事業の設計が上手くできていないということであり、上流工程でミスるとそっから先がいくら頑張っても価値のあるサービスは生まれないんだな、ってことを実感した。

そういったことからも、ITコンサルをはじめとする開発の上流工程に携われる業務に魅力を感じた。そうして、SIerに入社して上流工程に携わり日本のIT業界に変革をもたらしたい的なことを考え、就活に臨んだ。

 

就活では、ここまでにやってきたプログラミングの経験を主に話した。1つ目は、MATLABで先輩の作業を自動化したこと、2つ目は、Androidアプリ開発に取り組んだこと。1つ目の経験から、ITを用いて人の役に立つことへの理解、2つ目の経験から、アプリ開発のための勉強も自力でやりきれる能力、を示した。コミュニケーション力が見られるとは言えど、どちらかというと日本語力的なものがみられているように感じた。面接で多少難しい質問をされたそうに、日本語的に筋の通った論理的な回答を返す能力。もともと論理的な思考には自信があったので、それほど難しくなかった。グループディスカッションを通してリーダーシップを見られたが、これは事前にケース別のリーダーシップマニュアルを作成しリーダーシップがあるように見せかけた。こうして無事選考を突破した。

 

こうしてSIerへの入社が決まった。

 

就活が終わるまで放置していた研究に着手することしばらくして、10/1の内定式に出席した。その内定式にて、この企業に一生しがみついていいのだろうか、という思いがわくようになる。起業とか転職とか独立とかも視野に入れたほうがいいんじゃないか。理由を簡潔に言うと、同企業内の上位職種に対する羨望である。内定式でそれを感じ取ってから、この企業のこの職種にとどまっていていいのだろうか、と思った。よく知らんけど、IT系で独立してる人って何かSNSをよくやってるイメージがあったので、早速Twitterアカウントを作った。おそらくこのブログを読んでくれてる人の大半は、そのTwitterアカウントから見にきてくれた人が大半であろう。

そう、始めは将来の転職なり独立なりに向けて情報収集するために作ったアカウントだったのだ。それでIT関係の人をたくさんフォローしてるうちに手が滑ってIT志望の就活生@21卒をフォローしてしまい、そっから就活垢を名乗っていないけれどもITを志望した就活生など複数フォローしてしまうなどし、気付いたら就活垢を多数フォローしていた。このブログ内の別の記事でも書いた通り就活はかなり頑張ったので、隙あらば就活のアドバイスをしてしたくなるもので、就活の悩みなどツイートしてるのを見かけるとすかさずリプライしてしまうようになった。それが20いいねついたりRTされたりするとこれがまた嬉しいものである。こうして、一見元就活垢@20卒っぽいアカウントみたいになってしまった。でも違うんです!ホントはIT情報収集垢なんです!

ということで最近は就活関連のツイートしたりリプライしたりすることを控えるようにしています。基本情報技術者試験が中止になって嬉しいみたいなツイートを意識的に行っております。やっぱ赤の他人がいきなりしゃしゃり出てきてアドバイスしてくるとか絶対うざいに違いないし、何より既に過去のイベントである就活にいつまでも執着するのは僕自身にとって良くないだろうからね。

 

また、そのTwitterアカウントを作ってから、仮にもIT事業予定者を名乗るからにはプログラミングで何か作ってみたいと思って、LINE botを作成してみた。使用言語はJavaScript、使用ターミナル(?)はGoogleAppScriptである。どうしてこれに着手したか。以前Androidアプリを作った時感じたのが、まずiPhoneの人は試せないこと。次に、ダウンロードするのがめんどくさいこと。最後に、使用者の使用状況がモニタリングできないこと。アプリという制作物を創り上げることに達成感はあるものの、これらの不便さがあった。これらを一挙に解決できるのが、LINE botだった。LINE botならAndroidiPhoneいずれも利用できるし、利用するには友達登録を行えばよいだけ。さらに、利用者がチャットに送信した内容をこちらで確認することが出来る(予め言っておかないとトラブルになりそうだけど)。というわけで、LINE botを作ってみた。

これがまた大変だった。JavaScriptという言語の勉強は3分で終わらせたが、LINE botのアカウントの登録、それとJavaScriptで書いたコードの結び付け、さらにはGoogle Consoleというサービスを用いたコマンドウィンドウとの連動。そこらへんをここで説明するとそれだけで1つの記事が作れてしまうくらい複雑なものとなっているのでここでは省くが、幾度となく試行錯誤を繰り返した。途中Teratailというプログラミング版知恵袋に大いにお世話になった。Yahoo知恵袋と同じく、質問したり回答したりするたびにポイントが付いたり、それに応じてレベル上げ、バッチ贈与などがある。その面白さにつられて、いくつか質問に回答することもあった。こうして、無事LINE botを1つ創り上げ、それをコピペして改良する形で次々とアップデートさせていった。そうして、ゆくゆくは自分の友達が優しさで使ってくれるだけでなく、赤の他人までもが興味を持って友達登録してくれるようなbot修論提出後に作ろうと思っていたのだが、そういえば今の今まで忘れていた。

 

Twitterをやっていると、ITの世界には胡散臭い人がいっぱいいることを実感した。いわゆる"駆け出しエンジニア界隈"というやつだ。まあITの世界と言ってしまってはITの世界に失礼に当たるかもしれないが。昨今のITブームにおいてITエンジニアの需要が増加しているという報道を薄っぺらく受け取り、地道な勉強嫌いだし大学も出てないけど何かノリでいけんじゃね?みたいな考えと共にIT業界に参入しようとしている層が多いらしい。また、そういった層を煽ってプログラミングスキル習得の需要を作り出し、プログラマ養成スクールに流してお金を儲けている層もある。あとなんか、やたらブログを書きたがる駆け出しエンジニアが多くて、そういう人は大したスキルもないのにプログラミングの学習方法とか精神論とかブログに綴ってアフィリエイト収入を得ようとしているイメージがある。偏見もあるけどね。

それはそれで別に悪いことではないんだけど、アフィリエイトやったりとか特に社会的な価値を生み出してるわけでもないにもかかわらず態度だけはめちゃくちゃでかい人見るとホント勘弁してくれ、って思っちゃうよ。キメラゴンとかいう中学生マジで何様なの?Twitterでイキりまくってるけどあんた社会に何を貢献したの?国語数学英語は社会で役に立たないとか言ってるけどあんたの使ってるPCもTwitterも、先人が数学や物理学や電磁気学や情報学を学んで研究して開発してきてくれたから使えてるんでしょ?そういった先人様方の知恵にただ乗りしてる分際で何でそんな偉そうなん?最近有料Noteを説明もなしにページ削除したらしいしそろそろ引退も潮時なんじゃないんですか?一刻も早く信者が我に返って彼の元を去りアフィの収益もなくなり引退を余儀なくされノ〇ローゼにでもかかって親からも見放されいずれはセブンイレブンのバイトでもしながら食いつないで細々と生きて痛い目見てほしいものですよ。

 

また、Twitterのプログラミング界の一部に、AtCoder界隈なるものを発見した。別にAtCoderAtCoderという独立した競技プログラミング経営会社であってTwitterとは特に関係ないのだが、僕がこの存在を強く知ったのはTwitterがきっかけだった。そこで、IT業界におけるキャリアの選択肢を増やすために、AtCoderも参戦してみることにした。今のところ2回しか参加できていないのだが、何事も1歩目を踏み出すことが大事。会社の寮に入ったらちゃんと毎週参戦していくつもりである。ちなみにTwitterのハンネには「@AtCoder灰」と書いている。AtCoderでは競技者のランクを色で示しており、0点以上獲得すれば灰コーダーの称号を獲得できる。要するに1度でも参加したらどんなにポンコツでも灰コーダーなのだ。それでも部外者はそんなこと知らずに「灰ランクかー、何かよく分からんけど頑張ってそうだな」って思ってくれると思うので(てか僕自身がそれまでそう思ってた)とりあえず灰コーダーという称号をアピールしていきたいと思ってつけた。

 

僕の内定先では4月に基本情報技術者試験の受験が義務付けられているが、入社準備でバタバタしており全然勉強していなかった。しかしながら、一昨日あたりに実行本部の発表により、コロナウイルスの影響で実施が中止になることが分かった。何よりである。10月の試験では、勉強の捗り次第では応用情報技術者試験を受けようと考えている。

 

さてと、そうこうしているうちに3/28の夜11時である。

明後日は会社の入寮日。明日は実家で過ごす最後の日として、コロナによる外出自粛要請が出ている中実家でゆっくり過ごそうと思う。

ITとの出会い(前半・学部時代)

この記事では僕がどのようにしてプログラミングを知り、SIerに入社することになったのかを紹介する。

 

学部時代僕は流体系の学問を先行しており、情報学には大して精通していなかった。しかし、大学2年にて数値計算に強いFortranという言語を授業で習い、全くもって理解できなかった。あれは先生の教え方が悪い。標準出力ってなんだよ、、、一応言葉の定義は教えてくれたけど、なじみのないプログラミングの言葉で形式的に言われても教えたことにならんでしょ。あとあの先生はプログラミングに向いてないと思われる。課題の提出形式を「①学籍番号②名前③課題Aの答え④課題Bの答え」と指定した来たからその通り送ったら「答えだけ送ってきてんじゃねえぞ、ちゃんと挨拶文くらい書きなさい」だとよ。あなたが指定した通りの出力を返したんですよこっちは。システムにない出力を相手に求めるのはやはりコンピューターを触る人間として向いてない。

しかしながら、当授業の2期目に入ったところから、コツをつかみだした。プログラミングの意味を理解しようとか考えず、提示されたコードをただただコピペして動かしてみる。それを繰り返すうちに、頭が勝手に意味を読み取ってくれるようになった。そうして、その授業の期末試験ではクラスで1番に完答して途中退出した。課題何回か出さなかったから秀はつかなかったけどね。

 

学部3年に上がる頃、ある日本屋さんをぶらぶらしてたら何かC言語の本が目に入った。特に理由はないけど何か買ってみた。自分のPCで開発を行う方法がよく分からなかったので本を読んで頭で理解するにとどめていたが、4月になり新学期が始まると、選択必修の授業にC言語の授業があったので即受講した。みんながうんうん唸ってるときも余裕のよっちゃんでコードを爆速で書きまくり、毎回最初に退出していた。期末試験でも1番に完答して途中退出したのだが、相変わらず秀がつかなかった。これはこの講義を担当していた低能ゴミTAのせいである。まあTAとはいえど大して勉強もしていない学生が金のためにやってることがほとんどだから、多少学術的な質問に答えられないのは仕方ない。しかし日本語が喋れないのはいかがなものか。僕が、「今日の課題って出力結果だけだせばいいんですか?コードは出さなくていいんですか?」と聞くとTAは「コードも出してもいいよ」だってさ。出していいかどうかじゃなくて、出さなくていいかどうかを聞いてんの。日本語分かる?小学校からやり直して?って今は思ってるんだけど、その時は予想を超える相手の馬鹿さにこちらの脳がショートしてしまい「あ、はい」と答えてしまった。コードは出してもいいってことは当然出さなくてもいいんだと思って出さなかったら、どうやらコードは出さなければいけなかったらしい。そのTAのせいで評価秀がもらえなかったのは非常に腹立たしいが、プログラミングに得意意識を持つきっかけになったので、この授業は受けてよかったと思ってる。

 

 学部3年の後期は、当時付き合ってた子がVisual Basicの授業を受けていたので、僕は学科の都合上受講資格がなかったが勝手に潜り込んで一緒に受講していた。まあ行ったり行かなかったりなので大して身につかなかったので、Fortran, Cに続く3つ目の言語を学んでみて、言語ってどれもこれも似たような感じなんだなー、ということを知った。

 

学部4年になる前の春休み、サークルも引退したしとても暇だったので、プログラミングの勉強に本腰を入れようと思った。どういう経緯で知ったのかは忘れたが、そこで某プログラミング学習神神神神神神神神神神神神サイト、Progateを知ることになる。何から学べばいいか分からなかったので、とりあえずHTML & CSSのコースを一通り受講した。非常に便利なサイトである。無料コースは一瞬で終わってしまうので、即課金する必要がある。しかし月980円弱という破格の値段で、中身は月3万円くらいとられても文句なしのコンテンツ。コースを一通り終わらせたら、実際に模擬サイトみたいなものを作ってみた。作ったサイトのURLがどっかに行ってしまいもう見れなくなってしまったのが残念である。

 

春休みのある日、大学院で情報を専攻している先輩と飲みに行ったら、「これからはJAVAの時代だよ~」と言われ、よく分からずにProgateのJAVAコースを受講してみた。それと同時にJAVAの分厚い入門書も購入し、同時に読み進めた。書籍で言語の仕組みを理解し、サイトで実践練習を積む。このやり方でオブジェクト指向等一気に理解した。この頃が僕のプログラミング学習の中で一番はまっていた時期かもしれない。何時間でも集中でき、それまでめんどくさくてどうしてもやりたくなかった環境構築も何とか乗り越えた。Progateで覚えた内容は、VS codeで適当なコードを書いて実際に動かしてみた。当時新しくドトールでバイトを始めたので、レシピ学習用ソフトを作って自分で使ったりした。僕の実家は朝6時からごはんなので、その後歯磨きなど済ませても7時には余裕で活動開始できる。そこからプログラミングを行い、気付いたら12時、みたいなことがざらにあった。JAVAコースが終わったら他の言語も色々と適当にかじってみた。

 

学部4年に上がり研究室に配属されると、Fortranを使った入力値推定的なことを課された。カルマンフィルタといった制御装置を使うのだが、それがめちゃくちゃ難しかった。それはそれとして、その装置をFortranで実装する。とはいえ先生が入出力システムが僕の研究対象と異なるカルマンフィルタの完成版のコードを持っており、それを丸ごともらえた。今までのプログラミングでは三角形の面積を計算したりする程度だったのだが、ここで初めて「数値計算」なるものを知った。

僕は、数値計算と言う素晴らしく安直な人類の英知に驚き、敬意を示した。

ほんとに安直。マジで安直です。でもすごいんですこれが。

数値計算に触れたことのない人のために簡単に説明したいところですが上手い説明が思いつかないのでまた今度。

とにかく、数値計算を知って、今までFortranを学んできた意義をようやく理解した。ちなみに何を数値計算したかと言うと、一様流中に置かれた円筒が流体力を受けて振動する様子をルンゲクッタの式で解きました。ただそれだけなのにもう感動がすごくて、ちょっと初期値を変えたり速度を変えたり円筒の直径を変えたりして、色々いじって色々遊びました。もうそれだけで1週間は潰れた。物体を時々刻々と動かすだなんて、まるで神にでもなったかのような気分だった。そういう感じで色々とコードをいじってエクセルでグラフを書いてゼミで発表したら、「来週までにその結果をフーリエ変換してきてください」と言われた。そういや必修の振動学とかいう授業で習ったような習ってないような、、、と思いつつ、やり方をググってエクセルでやってみたのだが上手くいかなかった。すると、同じラボの先輩が「お前MATLAB使えよw」とか言っていきなりどついてきたので「教えてくださりありがとうございます」と言いつつどつき返し、MATLABをインストールした。真面目に使う言語はFortran, C, JAVAに続いて4つ目かなーと思いつつマニュアルを読んだ。インストール完了から3時間後には40通りくらいある数値計算結果を各々FFTし、支配的な周波数とその時の振幅をまとめたグラフを瞬時に出力した。それまでに学んだ言語は本読んだり授業受けたりして必死に習得したのに、遂にたったの3時間で習得し実装もできるようになるとは!もう俺は天才プログラマの域に達したわ、将来はグーグルにでも入って稼ぎまくろう。そう勘違いし、その週のゼミではその結果をどや顔で発表した。先生に「さらにこの40通り全てを条件を変えて20ケースくらいやってほしいんだけど、、、できるかな?」と言われたので、「プログラムで自動化したので1ケース3秒で終わりますけど?」と回答し先生と先輩たちを驚かせた。言ってしまえば素人が行うレベルのプログラミングレベルなら言語ごとの違いなんてほとんどないし、言ってしまえば標準語と関西弁の違いみたいなもん。どこが違うかだけピンポイントに抑えて頭に入れてしまえばもう習得できてしまうんだよね。さらにMATLABというのは研究者やエンジニアがコーディングに悩まなくて済むよう極力簡単に使えるよう開発されたものなので、簡単で当然。でもそんなこと知らない僕は舞い上がって調子に乗っていた。こうして、Fortran数値計算しつつMATLABFFTとグラフ化作業を行い、他にも自動化できるところは全て自動化した。こうして、プログラミング、ひいてはITに魅了されていった。

この経験は就職活動時SIerの面接で大いにアピールした。

 

しかしFortranMATLABではできることに限界がある。正確に言うと、この2言語は学術面では大いに使えるものの、家族や友達に「俺プログラミングできるんだぜ!」って紹介したときに「どんなことができるの?」って聞かれた時説明しづらい。仮に説明して伝わったとしても面白みがない。

また、プログラミングから生まれる最終的なアウトプットを、誰もが触れる(物理的にではなく視覚的に...??)というか、プログラミングを知らない人にも簡単に提供できるものが欲しかった。イメージとしては、B2BではなくB2Cをやりたい人の気持ちに似ていると思う。産業用ロボットを作るよりアシモ(古いなw)作る方が楽しい的な。さらには、コーディングから人に提供するまでの全てを自分でやりきってみたいという気持ちもあった。

これら2点の動機により、Androidアプリの開発を行ってみた。言語はJAVAを使うのでちょうどよかった。

まず、Android Studioという開発用ソフト(?)をインストールした。使い方は、ドットインストールというサイトを見て勉強した。これは、作業画面を映しながら音声付きで説明してくれる、いわば映像授業的なコンテンツである。Progate程の感動はないもののこれはこれで使いやすい。月額1000円課金するとオプション機能が使えるが正直なくてもそこまで困らない。Progateは言語の学習には使えるものの、ツールの使い方等は講座が用意されていない。ドットインストールにはAndroid Studioの講座があり、インストールの仕方から全部教えてくれたので、それに従って開発の準備を行った。Android Studioにはエミュレータという機能があり、PCの中で仮想的にAndroidのOSを立ち上げ、その上でアプリを動かす機能である。これを使えば、実機がなくてもアプリの挙動を試すことが出来る。しかし、これがものすごいCPU容量を食う(CPUの使い方合ってる??)もので、僕の4GBパソコンでは太刀打ちできなかった。そこで、せっかく実機があるので実機をUSBケーブルでPCにつないで、スマホ上で直接挙動を確認した。

何で初めからそうしなかったのかというとですね、そもそもエミュレータとは?sdkとは?sjkとは?second joshi kosei?的な感じだったので、実機を使えばエミュレータ使わなくて済むとかそんなことを判断できるレベルではなかったのだ。幸いサークルの後輩にAndroidオタクくんがいたので、彼に相談したところ「実機使えばいいんです」と言ってやり方を教えてくれたので、「なんだそんな簡単なことだったのか」と気づきエミュレータの設定をオフにした。ちなみに実機を使うには実機側での設定も必要なのだが、それはドットインストールでは触れられていなかったような気がする。そこも後輩君が教えてくれた。そうして無事、実機上に"Hello Android !"を表示した。

 

そこからは教本を読んで、技を増やしていった。オブジェクトを画面上で動かしたり、重力センサーつけたり、マップ使ったり。最終的にはポケモンのゲームを真似したものを作ってみた。で、ここで結局B2CからB2Bに戻ってしまうのだけど、研究で行っていた数値計算Android上で行い、物体の振動現象をスマホ上で示すという需要ゼロアプリを作成した。せっかく作ったし研究室の皆に見せたいと思って、playストアにアップした。これもまた一苦労で、何かよく分からない署名とかkeyとか所在地とか色々記入する画面があって、それらを済ませるとapkとかいう謎のファイルが出力される。それをgoogleの開発者向けサイトにアップし、他にも色々と情報を入力していくと、記入できる。どうやらアプリの審査なるものがあるそうで、アップロードからリリースまで半日くらいはかかった。リリースされた時は非常に感動した。

こうして、Androidアプリを作って公開してみよう!という試みは幕を閉じ、ひとまず卒業研究に専念した。

この経験も、SIerの面接では大いにアピールした。

 

卒論執筆ではLaTeXという文書作成用言語を使った。あまり真面目に研究を行っておらず卒論に書く内容も薄かったので、MATLABで画像を量産しまくって片っ端から貼っていくことでページをかさ増しした。数百枚に及ぶ画像を全て手作業で貼るのは骨が折れるので、そこでLaTeXが大活躍した。繰り返し計算を組んでボタンを1回押して放置したら、数分後には全画像が論文内に挿入されていた。

 

こうして卒論を無事提出し、卒業認定され、大学院へと進学した。

卒業旅行@台湾(後半...九份&台北)

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高鐵の切符

2/13, 台南での2泊3日の滞在を終え、高鐵、いわゆる台湾式新幹線により台湾の首都、台北に移動しました。

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台南から台湾へ一直線

295km離れた台南-台北間を、約2時間半かけて一気に移動しました。

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台北

写真は高鐵台北駅の駅舎です。首都の駅なので日本で言う東京駅に相当するのでしょうか。非常に立派な建物ですね。真ん中にオレンジのトラックが映り込んでしまったのが残念、、、。この日はそのまま九份に直行しました。バスに揺られること約1時間。ちなみにバスの乗客は体感的に9割日本人でした。

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九份

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九份

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九份

九份行きのバスに乗り込んでから、台湾語と日本語が同じくらいの割合で耳に入ってきました。九份がなぜ日本人に人気があるかと言うと、ジブリ映画千と千尋の神隠しのモデルになってる(という噂を宮崎駿監督が否定しているにも関わらず誰かが勝手に流した)からなんですね!実際写真を見ても分かると思いますが、実に千と千尋の舞台によく似ています。あと、流石に勝手にカメラ向けるわけにいかなかったので写真には残っていませんが、傘を持って裏路地の入口に突っ立ってぼーっとしてるおじさんがいて、この人そのうち豚にでもなっちゃうんじゃね?って感じのオーラを醸し出してました。というわけで、幻想的な雰囲気に酔いつつ、九份での観光を楽しみました。翌朝遠くの方から幻想的な笛の音色が聞こえてきて何となく寂しいような懐かしいような気持になりましたが音の正体は不明です。

 

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ホテル(寝室)

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ホテル(トイレ&シャワー)

ちなみに九份で泊まったホテルはめちゃくちゃきれいでした。トイレとシャワーの間に透明の仕切りがあることに感動、、、

 

さて、九份には1泊だけ滞在し、遂に2週間の卒業旅行の最終日となりました。バスで台北に戻り、最後の夜を過ごしました。3人の友達のうち1人は一端別行動し、風俗街に向かいました。。。。。

 

まあそれはいいんだけどさ

「風俗街行ってほしい?コンテンツ性あると思うんだけど」

ねえよばああああああああああああかw

そんなしょうもないこと言ってるから彼女に振られるんだよw ざまぁw

旅行先で風俗行くなんてあるある過ぎてコンテンツ性のかけらもないし、そんなんで自分の行動力に酔いしれてるつもりか?お?金払えば誰でも利用できることに行動力なんていらねえだろばーーーかw

行きたきゃ勝手に行けw 他人に背中押されなきゃ行けない程度のモチベならわざわざ金払ってまで行かなきゃいいだろアホかw

ちなみに彼は15分コースでちゃちゃっと終わらせてきたらしい。早すぎワロタ。

翌日その風俗街へ行った証拠となる切符を見せびらかしてきて「これ見られたら風俗行ったことバれちゃうわー」。。。

うん。で?どうでもいいんですけどワロタw だから何だよ興味ねえわw

 

バスで台北に向かう途中、僕はとある作戦を決行していました。Tinder有料ブースト発動です!マッチングアプリに課金とかw って思ってたこともありましたが、お金は使うべき時に適切に使うこと。一夜しか滞在しないこの街で現地の女の子と会うには、課金は必須でした。まあ何でそこまでして会いたいかって疑問に思われるかもしれませんが、まあ何事も経験してみるべしの精神によるものですね。同行した3人の友達との時間はもう十分過ごしたし、何なら最初の3日で既に飽きていたので、せっかく台湾来たんだし台湾人と話してみたいという気持ちもありました。ということなのでやましい気持ちは特になく、ただ単に誰でもいいから台湾人と会ってみたい、っていうだけの気持ちでした。

早速何人かマッチするけど台湾語しか話せなかったり遠かったり当日は無理だったり、、、

でも諦めずに無差別右スワイプを繰り返していたところとうとうきました。

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おお!?てか日本語でいいですか?ってマジ!?

流石は親日国家台湾ですわ。

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いやペラペラやんけw

そりゃこっちの幼稚園児レベルのチャイ後に合わせて会話するのももどかしいでしょうね。寝不足でクマだらけだった僕はファウンデーション使って肌の色をごまかしワックスで頭ばっちり決めて、私鉄で40分程の淡水駅という駅に向かいました。

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淡水のbarにて

相手が22時までバイトだったので淡水駅で22時半に待ち合わせるとか言う超強引スケジュールで会い、もう遅かったので近くのbarにてお酒を飲みました。でも万が一僕がホテルに帰れなくなると翌日のフライトに間に合わなくなるので、念には念を入れて酔っぱらわないよう台湾ビールを1杯飲むだけにしておきました。1時間程喋って健全解散。深夜0時の終電に乗って台北駅に帰還しました。

ちなみに彼女は高校生の頃兵庫県の高校に半年留学しており、その後も日本旅行を繰り返し東北地方以外の全ての地方に行ったことがあり、今は大学で日本語学を専攻していて卒業後は日本の専門学校に通うことを予定しており、妹は九州大学に通っており、このコロナ騒ぎのさなか「来週梅田に遊びに行く予定なんです~!」等と言っており、根っからの日本好きでした。大阪のことわざわざ梅田なんていう呼び方日本に住んでる俺ですらしねぇよ、、、

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まあそういう感じですっかり仲良くなれたのでなによりでした。

この2週間の中で1番楽しい思い出となりました。外部の人間とコミュニケーションをとろうとせず身内で下ネタ言ってるだけの友達と無理して一緒にいようとせず、ネットに課金してまで外に出かけた僕の行動は完全に正解でした。

 

終わりよければすべてよし。

こうして台湾の余韻に浸りつつ、無事成田に帰還しましたとさ。

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卒業旅行@台湾(前半...高雄&台南)

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高雄駅前の街並み

フィリピンボラカイ島での1週間を経て、マニラを経由し台湾に入国しました。まず、台湾南方の都市である高雄に着きました。そこからバスに乗って南下すること約2時間。台湾最南端近くのホワードビーチホテルに到着しました。夜は夜市で食べ歩きしました。

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ホワードビーチリゾートホテル

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夜市

 

翌朝、まず貸電動バイク屋さんに行きました。いわゆる原動機付自転車のことでしょうか。国際免許持ってないし明らかに違法なんだろうけどその割には堂々と営業してるお店だったので、まあ警察も目をつぶっているのでしょう。こうして、台湾最南端の地を目指しました。

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貸バイク

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台湾最南端の地

電動バイクを走らせ、最南端に到着しました。

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台湾最南端からの眺め

ま、ただ海があるだけなんですけどね。

こうして2泊3日の高雄旅行を終え、台湾第2の都市、台南に向かいました。

 

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緑色隧道

写真は、台南のとある川をボートで観光するクルーズでして、俗に緑のトンネルと言われています。どうでもいいんだけど、看板に「緑色隧道」と書いてあって一目で緑のトンネルを指してあることに気づきました。2016年に公開された映画「シン・ゴジラ」にて「隧道案件の被害もあります。一刻も早く国民を安心させるために緊急の記者会見を開くべきかと」って言ってるのを聞いて、隧道って何だろうって調べたことがあったからです。

 

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武聖夜市

夜は、またまた近所の夜市に出向きました。やはり台湾第二の都市なだけあって、非常に大規模な夜市が開催されていました。ちょくちょく日本語が聞こえてきてちょっと安心感。フィリピンでは5日間滞在して日本人を2組しか見かけなかったのです。高雄でも見かけませんでした。久々に母国語を耳にすると安心するものです。

そういえば台南にいる間Tinderで会える人がいないか探してみたのですが、マッチしてその日とか翌日とか会える人はなかなか見つからないものですね。そもそも英語か日本語話せることが条件なので、それも合わせるとそう都合よく会えるものではありませんでした。

こうして、2泊3日の台南旅行も無事幕を閉じました。

卒業旅行@フィリピン

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成田空港発マニラ行フライト

修論発表会を無事乗り切ってすぐ、研究室のメンバーで卒業旅行に行きました。まずはフィリピン。ボラカイ島というフィリピン南の島に5泊滞在しました。ボラカイ島というのは非常に小さなリゾート地で、まずはフィリピンの首都マニラに飛び、そこからボラカイ島近くのパナイ島まで飛び、そこからボートで移動しました。マニラに着くと既に日付が変わるくらいの時刻だったためホテルに移動して荷物を置き、カジノに向かいました。

 

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マニラのカジノ

僕はルーレットのゲームで2000円負けました。頑張ったけど勝てなかったというより、最初3000円くらい勝ったところでさらに高みを目指そうとしたところ眠気が強まってきて、めんどくさくなって持ち金全てぶちこんでしまったことが原因です。勝率50%という、賭け事の中ではまあまあ緩いゲームでしたが、2つに1つのそのゲームに負けた僕は5000円を一気に失いました。深夜4時くらいに適当に朝食というか軽食を食べて、ホテルに戻って荷造りをしました。そのまま空港に向かい、パナイ島に飛びました。

 

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パナイ島

パナイ島に降り立つと、そこは南国でした。写真の奥に濃い青色の海が見えますね。気温は20度代後半で、半袖1枚がちょうどいいくらいの気候でした。ここからボートでボラカイ島に移動し、トゥクトゥクのような乗り物に乗ってビーチに辿り着きました。

 

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いいですね、これぞ南の島って感じ。即LINEアイコンに設定しました。手に持ってるのはピスタチオらしいです。

 

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朝食

これは海を眺めながらの朝食です。フィリピン料理って言われてピンとくるものってあまり思い浮かばないけど、この写真にも写ってるガーリックライスがフィリピンではよく出てくるみたいです。

 

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一番よく撮れた景色の写真はこれですかね。

 

というわけで旅行の醍醐味はよさげな写真を撮ることとパスポートにスタンプを押してもらうことなので、4泊5日のボラカイ島旅行の醍醐味はこれで終了です。

 

残りの時間はひたすら退屈さと戦っていました。

というのもですね、メンツがつまんなすぎました。

 

旅行行ったら文化や料理を楽しみたい気持ちも確かに分かるけど、何だかんだそれって二の次で、実際は深い話とかしょうもない話とか彼女の自慢とか元カノの愚痴とか誰かの悪口とか延々と話すのが醍醐味じゃないんですか!?!?!?

まあ人の価値観はそれぞれだから文化や料理を楽しむ時間を大切にするのは分かるよ、でもホテルにいる時ずっとスマホいじってるのどうなん?

てか自分の彼女の話聞かれたら相手にも聞き返せよ。自分の彼女の話を自分からし出すのは気が引けるからお返しにこっちにも聞かれることを期待してお前の彼女の話聞きだしてやってるんだよ。ほんと空気読めねえ奴だなおい!

あと4人で自撮りする時毎回撮られる側に回ってんじゃねえよ!自撮りってのは基本的にカメラ持つ人が一番不細工になるんだよ!「お、撮ってくれてありがと」じゃねえんだよ馬鹿野郎!お前も撮れや!!!!気遣いの気の字もねえんだな馬鹿野郎!

あと毎晩毎晩一人でホテルの外出ていって彼女と通話してんじゃねえよ!せっかくみんながいる場で電話するならスピーカーにしてみんなに声聞かせなさい。それができないなら旅行中彼女と電話するな。

 

こ!れ!だ!か!ら!

 

やっぱ東大生って駄目だわ。

 

ごめんなさい本音が出ちゃった。でもこんなつまらない人種今まで見たことないんだよな。じゃあ何で一緒に旅行なんて言ったんだよって思われるだろうけど、彼らは僕にとって姉妹研究室のメンバーであって普段は違う研究室に所属している。しかも向こうは3人でこっちは僕1人。ほんとはこっちにも同期が1人いたんだけど彼は在学中に病んでしまい留年してしまったので卒業旅行には来なかった。しかも、僕は柏キャンパスに所属している一方向こう3人は本郷キャンパス。だから普段はあまり会ってなかったんです。週1回テレビ通話で合同ゼミを行っていたから顔は毎週合わせてたし、事務的なやり取りにおいてはまあ感じよく進めてきてた。でも最後の最後に一緒に旅行してみたことで、人間的にめちゃくちゃつまらない人たちだってことが分かっちゃったんだよな~~~~~~~~~~~。

確かに彼らは頭いいし英語もペラペラだし旅行に関する知識もあって頼りがいはある。でもそんなんそのうち高性能なスマホにとって代わられるぞ?しかもそいつらやたら低学歴な人間を馬鹿にするタイプの東大生なんだけど、どちらかというと今までいっぱい勉強してきたにも関わらずここまで魅力のない人間に育ってしまった君たちこそ危機感を持ったほうがいいよと言いたかった。口喧嘩になると 3 VS 1 となり絶対勝ってないので我慢したけど。

 

てかさ、、、ビーチに5日間も滞在して何が楽しいんだ?

海があるだけやん、、、泳ぐ他することないやんけ、、、

おいしい料理食べたいなら東京のその辺のレストラン行こうぜ、、、

 

そうして、朝食、海水浴、昼食、海水浴、夕食、のルーチンを約4回繰り返して、パナイ島、マニラを経由して次は台湾に向かいました。何とも辛い5日間でした。

大学院生活(後半・M2)

就職活動のさなか、M1からM2へと進級した。

研究室には新入生が2人入ってきて、計4人のメンバーで活動していくことになった。また、研究室をリフォームし秘書さんのスペースを作った。前の代は1学年5人いたため一気に人が減り、僕は机2つ、デュアルモニターの環境が与えられた。M2の同期とは学部1年のころからの仲だったので、研究室内では気使う相手もおらずやりたい放題やっていた。席選びは当然一番奥の一番隅っこ。狭く閉鎖的な空間ほど好きなものはない。また、席の真横に壁があったので、好きなモデルの写真とか貼りまくってた。他にも室内に本棚とかお菓子コーナーとか調理場とか色々あって、もう最高に自分の部屋って感じだった。

いよいよ研究が本格化し、まずは先代がやった実験の続きから始めることになった。そのためにセンサーのキャリブレーションをすることになったのだが、何しろ実験自体が初めてすぎて、さらに就活による研究時間現象も相まって、たかがロードセルのキャリブレーションに1月ほどかかった。平日は就活のため学校に来れず、土日に研究作業を詰め込むような日々が続いた。しかも研究と研究の間が5日間も空くとその前何をやっていたのか思い出すのに時間がかかり、無駄な作業が増えた。同じセンサーのキャリブレーションを間違えて2度やってしまったり、間違った入力値を与えて検査しやり直しになったり、そんなしょうもないことを繰り返していた。

たまに平日に就活を終えた後スーツで研究室に向かいソファベッドに倒れるなどして、後輩たちが「お疲れ様です」って言ってくれた。

5月下旬に就活が終わると、ようやく研究が本格化しだした。まずは、7月末に実験日を設定し、それに向けて準備を進めた。正直2か月も時間があると思うとなかなかやる気が出ず、結局グダグダしてるうちに実験2週間前あたりまで時が進んでいた。実験場所は本郷に合ったため、柏から本郷まで毎日通うことになった。片道1時間。本郷には姉妹研究室のような立場の研究室が合ったため、疲れた時はそこで休ませてもらった。途中からあまりにも疲れがたまってきたため、荷物は本郷に置きっぱなしにし、手ぶらで柏と本郷を行き来するようになった。都心へ向かうサラリーマンに囲まれ荷物無しTシャツ半ズボンで常磐線に乗る僕ははたから見るとかなり異色な存在に見えただろう。資器材の調達や実験スケジュール等を調整するも実験当日までに間に合わず、もうどうにでもなれと思いながら実験を開始した。

その時だった。実験器具のスイッチを入れ稼働させた瞬間、器具の一部が破断し、器具センサー模型その他諸々水槽に水没した。流体力学系の実験のため、実験水槽(プールみたいなもの)の中で模型を振り、そこにかかる力を計るという実験だったのだ。あわててアンプの電源などを落とすも、構造上自ら引き上げるのは困難だった。仕方なく実験装置に対しイレギュラーな操作をしていたら、実験用の自動台車がいきなり暴走し始めた。作業員のおじさんが台車の前に立っており轢かれそうになった。「この人が死ぬ瞬間を、僕は目の前で見るのか、、、」と覚悟を決めた瞬間、作業員さんは深さ3メートル程の溝の中に飛び降り、間一髪台車から逃れた。僕は先生に確認の上救急車を呼んだ。実験中の事故とのことで、他の先生とか専攻長とか警察とか安全管理課の人とかいろんな人が来た。まあ何はともあれご無事で何よりでした。

というわけで、台車暴走により僕が2週間かけて作り上げた実験用模型は木っ端みじんにぶっ壊された。何か事務員さんが無事だったことへの安堵と、目の前で見た恐ろしい光景によるショックで、模型が壊れたこととか最早何とも思わなかった。破片を回収しごみに捨て、その日は帰宅した。

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粉砕された模型

 

この事故が7月末に起きたものだが、8月下旬に中間発表があった。この実験で得た結果を中間で発表する気満々だったのに、ネタが一気に消えてしまった。中間発表では仕方なしに、先輩の研究のレビューと今後の計画について話すことにした。これまでの進捗については、事故があったので進捗ありません、と正直に述べた。そして、中間発表は無事合格した。

 

そうして、再度実験準備を行うことにした。今度は1回目の反省を生かし余裕を持って準備しようと決めた。しかしながら、実験実施日を決めないことにはやる気が出ないものである。結局、実験は11月の上旬に行うことになり、真面目に準備し始めたのは10月の中旬当たりからだった。

 

この頃から「声とも」っていう通話アプリにハマりだした。知らない人とランダムに通話するアプリである。話すのが好きな僕にとってはこれが他のあらゆる趣味より楽しく、また寝っ転がりながら口を動かすだけで会話が成立してしまうので、何よりらくちんだった。そのため、深夜に会話が盛り上がり、そのまま早朝まで話してしまうことも度々あった。

また、就活中と中間発表前にお休みしていたレストランのアルバイトを再開した。9月になると卒業旅行などを踏まえたお小遣い管理を意識するようになり、土日は可能な限りバイトを入れまくった。両日合わせて20時間働くことなどざらにあり、9月1か月間で12万円稼いだ。平日は基本的にラボ出勤、土日はバイトか休日出勤。こんな感じで、月月火水木金金な毎日を過ごしていた。今思うと非常によろしくなかった。平日は「まあ土日研究すればいっか」ってなるし、土日は「休日なのに学校来て偉いし今日は適当でいっか」ってなるし。そんな感じで、出かけてはいるけど何も生み出さないような虚無な日々が続いていた。

10月1日、横浜にて御社の内定式に参加した。第一志望で内定をもらえたため、非常に楽しい気持ちで向かうことが出来た。同機は400人近くいて、会場の反対側の席の人とか顔が見えないくらい遠く離れていた。内定式では人事部長によるありがたいお話や内定手続きなどを行い、トイックを受けた。その後、社内カフェにて懇親会を行った。みんなコミュニケーション力が程よく高い人が多く、初対面でも楽しく話せるけどでもウェイウェイしすぎず、といった感じでとても居心地がよかった。懇親会に社長さんが来てくださりありがちお言葉をいただいたのだが、みんな酔っぱらってたので聞いてなかった。ええんかおいw その後、学生のみの2次回に参加した。それがホントに楽しかった。まず、うちの内定先イケメンと美女がめちゃめちゃ多い。やはり天下の高収入勝ち組SIerなだけありますな!!!!いっぱい働いてたくさん稼いで勝ち組ライフ謳歌すんぞオラ✊✊✊あと、MCさんがめちゃくちゃ司会上手かった。クイズ大会での演出などもとても準備されていた。僕はマッチ棒クイズをチーム内断トツの速さで答えを出し、「流石東大!」って言われてご満悦だった。帰り一緒になった女の子に向こうからLINE聞いてもらえたのも嬉しかったですね。もう残りの院生生活いらないから、半年分タイムスキップさせて!お願い!て心から神に祈った。

 

翌日からは再度研究再開。11月上旬の実験に向けて準備を進めた。実験準備で一番大変だったのは、主要機材の発注である。というのも、7月の事故で主要機材が故障してしまい、修理を頼もうとしたところその企業は倒産していた。よって、同じ機能を持った機械を自分で探さなければならなかった。そうはいっても流石に先生は手助けしてくれ、メーカーを紹介してくれたのだが、そっから先は丸投げだった。まず僕は営業の人に電話して機能の説明を受け、こちらの要望を伝え、懸念点を確認し合い、どの機種が向いているかなど教えてもらった。営業の人は文系なので理系的な話がなかなか通じなかったが(多分加速度っていう言葉すら通じてないっぽかった)、分かりやすい例を出すなどして理解してもらった。ある程度話が詰まってきたところで、今度は上野にあるメーカーのショールームに向かった。実際に機械が動いているところを見せてもらい、ソフトでどのように動かすのか教わった。で、ここからがこちらの腕の見せ所であった。

 

困ったことにこの機会は、目的地と速度を指定した等速直線運動しか行えなかった。しかし僕の実験では、模型をsin波で振動させる、いわゆる単振動の動きを発生させる必要があった。さてどうしたか。アイデアの部分だけ先生に頼ってしまったのだが「等速直線運動をつなぎ合わせて疑似的な単振動を作ればいいじゃん」と言われた。なるほどと思い、信号を0.05s間隔に区切って等速直線運動をつなぎ合わせ、単振動を作り出した。研究室で指示信号リストを作ってcsvで保存し、USBに入れた。それを持って、再度ショールームに向かった。試運転をしてみたい旨を予めメーカーの営業さんに伝えてあったので、PCをスタンバイさせた状態で待っててくれた。USBを差し込み指示ファイルを起動してみると、無事単振動が始まった。その様子を動画で収め、翌日のゼミにてどや顔で発表した。そうして、その機材の発注許可を先生にもらい、無事入手することが出来た。

実験中は予め作っておいた指示ファイルを順番に実行していくだけであった。似たような実験を300ケースくらい行ったので、朝から晩まで水槽の前でぼーっと様子を見ていた。こうして無事実験を終えたのであった。

 実験を終えたあたりから、謎にプログラミングがやりたくなった。過去にAndroid studioアプリ開発したことはあったのだが、もっと誰もが気軽にアクセスできるものを作りたい。そう思って、LINE botを自作してみた。結構苦労したが、作り方をまとめてくれた個人ブログやTeratail等を参照して、何とか作り上げた。何故こんなことをこの時期にし出したのか正確には覚えていないが、何者かになりたかったのだろうきっと。ただ漠然と大学院に入って適当にその場しのぎで研究をした人、にはなりたくなかったのである。そこで、普通の人にはできない何かをできるようになりたいと考え、LINE botを作ってみたのだったように思える。

実験を終えると、まずは実験の解析をした。1週間で終わらせるつもりが、なんだかんだで1か月かかった。5日間ぶっ通しでデータを取り続けたので、まずデータ量が尋常でなかった。量が多いと単純に時間がかかるのは当たり前のことだが、処理中に何らかのエラーが生じることも多々あった。そのせいで、途中までやったあとまた1からやり直しになったりなどしたことが、1カ月もかかった原因である。そこから今度は論文用にグラフを出力するなどして、気付いたら年が明けていた。

結局論文提出はまともに終わらず、提出ギリギリに後輩にページ数の入れ方ググらせるなどして、先生にも印刷を手伝ってもらい、何とか提出した。そしてその1週間後に研究発表会(審査会)があった。もはや何をしていたのかあまり覚えていないが、3日間で3時間以上連続で寝た日はなかったように思える。当然家には帰らなかった。隣の研究室の友達も時間感覚がバグっており、夜中の2時にうちの研究室を訪ねてきて「ちょっと昼寝するから3時になったら起こして」など言い出した。いやもうそれ昼寝じゃなくて普通の睡眠だろ、、、。僕は発表当日の朝、3日ぶりに帰宅してシャワーを浴び、スーツに着替えて登校した。結論から言うと発表はぐっちゃぐちゃで、まず時間内に発表が終わらず、質問にもろくに答えられなかった。それでも何だかんだ合格にしてくれちゃうんだから、大学院って、少なくともうちの専攻はほんとにあまっちょろいものですね。

こうして、無事修士課程を修了しましたとさ。院ロンダの目的が研究になかったせいで全てが適当となってしまった。まあ、なんだかんだ就活成功したことが、この2年間の一番の功績だったのかな、と思っている。

発表を終えた後フィリピン台湾旅行に行き、帰国後は体調及び精神不調により虚無の日々を過ごし、引っ越しを終え、今に至る。社会人生活に向けて準備を進めていきたい。

就職活動⑤

最終面接の数日前から、緊張で夜眠れなくなった。それまで早寝早起きを心掛けていたが夜どうしても寝れなくなったため、3時寝9時起きに切り替えた。最終面接の時間が午後3時からで助かった。

最終面接当日は前日までと同じく朝9時に起床し、最後の調整に入った。グルディスのマニュアルを読み直して予行練習し、逆質問と質問回答の原稿を繰り返しに出した。お昼頃スーツに着替え、大手町に向けて出家した。これまで通り1時間早く到着し、逆質問の最終練習を行った。

その後受付を済ませて待合室に入室し、グルディスのメンバーと雑談をして過ごした。時間になり会場に案内されたが、席を立つ際間違えて先頭に立ってしまった。何が間違えなのかというと、積極的に議論のイニシアティブをとるため席順は真ん中に座ろうと決めていたのに、先頭で入ると端の席になってしまう。早速ミスったと思い、途中靴紐がほどけたふりをして1人先に行かせ、自分は真ん中の席に陣取った。ポジショニング成功。資料が配られた。資料を読み込み個人ワークを行う時間は10分間。その間に読み込みに加え表を作るなど作業を行った。そして、20分間のグループワークが始まった。一言目を確実に発することで場を支配する作戦は見事に決まった。というか、わりとみんな消極的で、他の誰かが発言してくれるのを待っている様子だったので、先頭を切りやすかった。この時点で内定を確信とまではいかなくても、多分いけるだろう、くらいには思えた。

やはり準備を周到に行っておくと周りに対する圧倒的余裕感が持てる。何としても受かりたいという覚悟も違ったので、1ミリたりともの遠慮もせずぐいぐい議論を推し進めていった。初めに僕がタイムスケジュールを決めた(周りに合意はとったが、仮に反対されたとしても強引に押し通せるよう計画していた)ので、計画通りに議論を進められた。そこから外れた発言をする人がいても「待ってください、その議論は後でやるので」と言ってタイムスケジュールに引き戻した。僕の強みが一番発揮されたのは、誰かがミスってよく分からない発言をし場の空気が「?」となった時である。そういう発言をしてしまうのはそれまでにあまり発言できていない人であり、どうしようなんか言わなきゃ!という気持ちから中身のない発言をしてしまうのである。焦りながら発した言葉が周りを混乱させてしまい、さらに焦ってしまう。僕も就活初期に同じような経験をしたため同情心を抱き、必死にカバーした。「つまりあなたが言いたいのは◎◎ということで、そのために××っていう案をあげてくれたってことですよね。それは~~という側面において強みを発揮しそうですよね!」みたいな。面接官からしたらかなりの評価ポイントになったのではないか。

そうして議論を終えた。終わってから「初めに発言してくれて助かりました、ありがとうございました」と他の学生たちから言ってもらえた。そうして、最終面接が始まった。

最終面接は出来レースと聞いていたので気軽に受けた。逆質問を一応5つ用意してきたのだが、8分しかなかったため2つしか質問できなかった。面接官は部長さんで、「初めに逆質問を、えーっと、、、何分だ?10分間?あ、8分か。質問用意してきた?5つも?そんなに答えられるかなぁ、、、えっと、資料どこだっけ。あと評価記入シート。あれ?あああったあった。この部屋でグループワークやったの?ああそう、人事の子たちもうちょっと片づけてから呼んでくれればいいのになぁ」等と言っているうちに1分は経過した。この適当さならほんとに出来レース何だろうなぁと思いつつ1つ目の質問をした。すると8分間しかないのに1つ目の質問に5分程使って答えてくれた。しかも急ぐ様子もなく、同じ話を何回も繰り返してるうちに5分経った。「はい、じゃあ2つ目」と言う感じで2つ目の質問をした。あまりに適当な受け答えだったので、何聞いたかも何答えてくれたかも忘れてしまった。そして気づいたら時間が半分くらい終わっており、「はい、後半戦。」と。後半戦では、どの業界システムを作りたいか聞かれたので、予め作っておいた原稿に従って答えた。それに対し若干意地悪な質問もされたが、まあ想定内だったので落ち着いて答え、無事面接終了。第二志望から内定取得済み、そして第一志望の最終面接を終えたので、これで就活終了。夜は柏駅で焼肉した。

緊張しながら連絡を待つ時間が嫌だったので、夜はゲームして気を紛らわした。そうして翌日昼あたりに電話がかかってくるのかなー、と思い、昼ちょっと前にアラームをセットし眠りに落ちた。

 

翌朝、スマホのバイブ音で目が覚めた。アラームかと思ったらまだ9時だった。非通知着信だった。期待と共に電話に出た。「こちら株式会社〇〇〇〇人事部採用科、〇〇と申します。こちら××××のお電話番号でお間違いありませんでしょうか。昨日は弊社のジョブマッチングにお越しいただきありがとうございました。厳正なる審査の結果、システムエンジニア職合格となりました、おめでとうございます。」

 

こうして今年の4月から、晴れてシステムエンジニアとして就職することになった。日本社会に便利なシステムを提供し、日本で生きる全ての人によりよい暮らしを提供できるよう頑張りたい。